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大白川より白山登拝~仏法興隆祈願

 6月21日朝7時、大白川の白水滝に参拝。



運転中降り続いていた雨はあがり、風もほとんどありません。谷沿いに白山登山口へと歩を進め、息と歩調と念仏を合わせて平瀬道を一心に登ってゆきました。8時には雲間に太陽が照り始め、振り返ると白水湖が見下ろせました。



やがて、前方に白山頂御前峰と剣ヶ峰がお姿を現わしました。



白山を拝み、花の色、鳥の声を拝みつつ念仏行道。



8時半すぎに大倉山避難小屋通過。



御前峰と剣ヶ峰はよく見えますが、別山頂には雲が掛かっていました。
 大カンクラ雪渓の雪を見、山道を離れて9時半に「御厨池(みくりやいけ)」へ。



神融法師(泰澄大師)が法華経の功力で毒龍悪鬼を籠め(「大法師浄蔵伝」)、後に浄蔵法師や日台聖人が水を汲み病人に施した(「大法師浄蔵伝」「古事談」)、と伝わる宝池は、まだ半ば雪に覆われ、池の底にも氷雪が布いてありました。法華経観世音菩薩普門品を読誦し、池の前に暫し坐しました。
 「大法師浄蔵伝」は、景雲(慶雲)年中(704~708)に神融という苦行人が「当山を始めて開き」、法華経の功力で毒龍悪鬼を御厨池に籠めた、という古老の話を伝えています。泰澄大師(神融法師)が白山に三所権現を開いたのは養老元年(717)とするのが一般的で、来年は白山開山千三百周年とされているわけですが、この「故老の伝」によれば、大師が始めて白山を開いたのはそれより十年程前、ということになります。慶雲年中に先ず「毒龍悪鬼」、即ち煩悩・邪魔を仏法の功力で鎮め、その後十年程の籠山修行の末に白山三所権現(十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来)をお開きになった、と見る方が、女神に導かれて山に登り、数ヶ月で三所権現を開いた、という「おとぎ話」めいた話より、現実的ではないでしょうか。
 浄蔵法師が御厨池の水を汲んだのは天慶2年(939)(「大法師浄蔵伝」)、日台聖人(日泰上人)が御厨池(龍池)の水を汲んだのは天喜年中(1053~58)(「本朝世紀」)、その約一世紀後には、富士山に興法寺や山頂・大日寺を建てた末代上人(富士上人)も日泰上人と同じ池の水を汲んでいます(「本朝世紀」)。「白山之記」には、「御在所(山頂)の東の谷に宝池あり、人跡不通。ただ日域聖人(日代聖人か?)あり、その水を汲む。」「その味、八功徳を具う」とあります。この池は、泰澄大師から浄蔵法師・日台聖人・末代上人と繋がる、白山仏法始開の池、ともいえましょう。末代上人と同時代(一世代上か)の白山笥笠神宮寺・西因上人(白山上人)が「衆生の煩悩・邪魔を此池にかりこむる故に、かりこめの池と云也」(「続古事談」)と説いておられるのも、この御厨池・龍池のことなのでしょう。



 池の上に登り、北西に御前峰を遥拝。



深い処では背丈程あるハイマツの海を漕いで、登山道に出ました。キヌガサソウやクロユリを拝みつつ行道し、室堂へ。



11時前に御前峰に登頂し、白山奥宮にて般若心経を読誦しました。御前峰から剣ヶ峰へと縦走。



剣ヶ峰の頂より御前峰を拝み、白山三所権現ご真言・ご宝号をお唱えしました。



次いで、剣ヶ峰から翠ヶ池・大汝峰へと縦走。



11時半に翠ヶ池に下り、池前で観音経を読誦しました。



正午に大汝峰登頂、大汝社にて念仏をお唱えし、今日白山に登拝している方々の為に回向しました。前日室堂に泊まっていた方々が御前峰に登っていましたが、山はひっそりと静かでした。



麓から霧が昇ってき、涼しい北風が次第に強まってきました。
 12時半に下山し、千蛇ヶ池の万年雪を渡って六地蔵跡に参拝。



明治の神仏分離までは、奥州平泉の藤原秀衡公が寄進した銅造・地蔵菩薩坐像が祀られていた処です(現在は白峰・林西寺の白山本地堂に安置)。今は、破壊されて首のない石仏が置かれた中に、小さなお地蔵さまが二体あるのみです。般若心経と地蔵菩薩ご真言をお唱えし、お地蔵さまの前に正身端坐しました。
 破壊された石仏は、大汝社にもあります。泰澄大師が白山を開山されてから、来年で千三百年。白山にかつてあったお堂も仏像も今はなく、破壊された石仏が晒されています。亡き泰澄大師がこの有り様を見たら、どう思われるでしょう?「白山之記」には、白山が長久3年(1042)に噴火して山頂部の堂宇が埋った後、堂五宇・室三宇を再建したことが記されています。五堂には皆、白山三所権現の像が祀られていました。阿弥陀堂には大般若経一部を安置、新堂には十部の法華経などが安置され、毎年六月には法華八講が厳修されていました。阿弥陀堂では、大般若経転読も修されていたことでしょう。今は訪れる人もなく、クロユリが咲き、石積みからネズミ類が出入りしているこの廃墟に坐し、一つの願いが心に湧き起こるのを禁じえませんでした。
 此処に、お堂を再建できないだろうか。かつて此処にあったように、地蔵堂を建て、仏像を安置できないだろうか。本地堂でもよいでしょう。かつて白山頂部には仏像も経典も僧伽も、即ち、三宝があったのです。今や、広大な白山の山々の見渡す限り、三宝がありません。かろうじて、大日ヶ岳の頂に大日如来の像が祀られているくらいです。伊吹山の頂にお堂があるように、白山にも、せめて一つだけでもお堂を再建し、一宗一派に偏ることなく、誰もがみ仏と妙法を拝み、仏道を実践することができる場とすること。それこそが、泰澄大師白山開山のご遺徳に報いるに相応しいことではありませんか。
 白山の仏法興隆を祈願し、白山妙理大権現に投地礼をして御前峰頂に戻りました。



14時に室堂に下り、平瀬道へ。再び御厨池に参拝し、白山権現と白山の先徳の方々に仏法興隆を祈願しました。



池の水は東の雪渓に下り、地獄谷から白水湖へと流れ下っていました。



「白山之記」はこの池について、「或は空中に仏頭の光を顕し、或は谷に地獄の相を現ず。これ十界互いに顕われ、善悪並びに現ずるか」と描写しています。奥三方岳を見つつ大倉尾根を念仏行道し、妄念を捨て只一心に下ってゆきました。



 16時半に白水滝着。



西日(白山の方向)に掌を合わせて念仏をお唱えしました。
願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国





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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝