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春日井巡礼

 7月30日朝9時、愛知県春日井市の朝宮神社に参拝。延喜式神名帳(延長5年(927))にある和爾良神社と伝えられ、建保6年(1218)に白山神を合祀して朝宮白山宮と称したそうです。参拝後、境内におられた地元の方から、7月31日に神事があり、今朝から皆で茅(ちがや)の輪を作ったところ、とお聞きしました。


神事の前日ではありますが、せっかくですので、作法通りに輪くぐりをさせていただきました。今月初めに立山麓の雄山神社(岩峅寺)でも輪くぐりをさせていただきましたが、昔から伝わる祈りを絶やさずに受け継いでおられることは、尊く有難いことです。朝宮神社の本社は白山神社(加賀の白山比メ神社か)で、毎年、参拝にも行っておられるそうです。
 朝宮白山宮から南東へ歩を進め、鳥居松の神明社に参拝。


拝殿には「頼威霊」の額。永禄5年(1562)に清洲から勧請されたそうです。神明社から市役所東の車の多い県道を南東へ進み、中央本線の線路を歩道橋で越えてさらに南へ。右手に王子製紙の工場が現われ、やがて、慰霊碑に着きました。


此処にはかつて名古屋陸軍造兵廠鳥居松製造所があり、99式小銃などの携帯兵器を作る、旧陸軍最大の工場であったそうです。昭和20年(1945)3月25日の空襲で約30名が死亡、降伏前日の8月14日には、長崎に落とされた原爆と同じ大きさ・重さの模擬爆弾「パンプキン」が三発落とされ、鳥居松製造所は壊滅したそうです。米軍は8月13日には、広島・長崎に続く第三のプルトニウム核と起爆装置をテニアン基地に移送する準備を整えていたそうです(「岐阜も戦場だった~岐阜県各地の空襲~」)。慰霊碑の観音さまの御前で法要を修し、春日井空襲で亡くなられた方々、広島・長崎の原爆で亡くなられた方々、先の大戦で亡くなられたすべての方々に回向いたしました。
 慰霊碑から東側へ進み、和爾良神社に参拝。


かつて朝宮の地にあった和爾良神社と別当寺であった大光寺が、建保6年(1218)に此処に遷され、白山神(白山権現)を合祀して和爾良白山社と改名したそうです。旧社地にも白山神(白山権現)が合祀されて朝宮白山宮となっており、両社は当地における白山信仰の拠点だったのではないでしょうか。和爾良白山社と朝宮白山宮の間にある地区・「鳥居松」は、白山美濃禅定道の「一ノ鳥居」とも伝えられているようです(若宮多門「白山文化手帖」)。和爾良神社のすぐ隣には大光寺の観音堂(十一面観音菩薩)と元三大師堂が並んでおり、お宮とお堂の間は小さな公園で、地元の子供たちが遊んでいました。巡拝して平和を祈り、戦争をしない、させない、喜ばないことを誓いました。
 和爾良神社から東へ進むと、庄内川に出ました。


川の右岸を上流へ45分程歩き、密蔵院に参拝。


ご本尊は薬師如来。嘉暦3年(1328)、御嵩の願興寺から来た慈妙上人が開山し、栄西禅師が創始した葉上流の伝法灌頂を伝えたそうです。円(法華)・密・禅・戒、四宗相承の比叡山で穴太流密教を学んだ栄西禅師は、日本に臨済宗の禅を伝えただけでなく、葉上流密教の祖でもありました。
 密蔵院から橋を渡って庄内川の左岸へ。橋の上からは、南西に王子製紙春日井工場の煙突や、名古屋の高層ビルが望めました。


名古屋は戦時中、63回の空襲を受け、死者7858名、負傷者は10378名でした(総務省ホームページ)。庄内川の左岸は、名古屋市守山区。河川敷には畑、堤外には田んぼがけっこう残っています。川沿いの道から県道に出ると、チベット寺院と書かれた派手な建物が現われました。


今日はお祭りなのか、ステージの歌声が響いていました。ご本尊のお釈迦さまにお参りしてきました。
 すでに昼をすぎ、陽射しを浴びつつ舗装された道を行道。12時半に龍泉寺に参拝しました。


伝教大師の創建、尾張四観音の一つです。本堂にてご本尊の馬頭観音さまに般若心経読誦。「拝礼し拍手(かしわで)を打ってお参り下さい」と書いてあり、神仏習合の祈りを伝える寺院のようです。若狭の神宮寺でも、仏さまを拝む際に拍手を打っていました。拍手を打ち、馬頭観音さまのご真言をお唱えしました。
 龍泉寺から県道をさらに進むと、道に沿ってバス専用の高架が現われました。


日本初のガイドウェイバス、「ゆとりーとライン」です。県道から庄内川大橋を渡り、再び春日井市へ。橋からは王子製紙の煙突や、うっすらと高賀山の山並も望めました。


冬のよく晴れた日には、高賀の山並の背後に真っ白に輝く白山が拝めることでしょう。橋を渡り、高速道路下の暑い道を一心に行道。勝川から高速道路を離れ、西へ。14時に二子山古墳に到着しました。


五世紀末~六世紀初の当地の豪族の前方後円墳で、周濠を含め全長116mの大きさです。周囲にもいくつか古墳があります。二子山古墳のすぐ北にある白山古墳には白山神社が鎮座しており、神社参道と直角方向に、神宮寺である日輪寺が建っています。



この配置は、白山越前馬場中宮平泉寺、白山美濃馬場中宮長瀧寺と同様です。此処に白山神社が建てられたのは万治2年(1659)とのことですが、平泉寺や長瀧寺の伽藍配置に倣ったものでしょうか。古墳上の森は涼しく、柏手を打ち白山権現ご真言とご宝号をお唱えしました。日輪寺のご本尊は十一面観音菩薩、般若心経と念仏をお唱えし、平和を祈願しました。
 二子山古墳・白山神社から、八田川に沿って北東へ。一時間程歩き、朝宮白山宮に戻りました。昔の人たちは、この辺りからも白山まで歩いて登拝していたのでしょう。白山妙理大権現に今日の体験を感謝すると共に、白山に登らせていただいていることの有難さ、その一歩一歩の尊さ・貴重さを感謝し、順礼・登拝の志を新たにしました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝