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四日市~石薬師~加佐登巡礼

 8月5日朝7時、四日市市の南部丘陵公園に車を停め、泊村の安政池へ。長崎に落とされた原爆と同じ大きさ・重さの模擬爆弾「パンプキン」が昭和20年(1945)7月24日に四日市・大垣・大津・神戸・新居浜に落とされましたが、つい最近、四日市での着弾地が安政池だったことが判明したそうです。池を探しながら団地造成の工事現場から墓地まで歩きましたが、池らしきものは見当たらず。地元の方に聞いてみると、団地の工事をしている処が安政池とのことでした。


水はありませんが、石碑が残っているとのこと。行ってみると、池の北側に「安政池」と書かれた石碑がありました。


池の周辺は団地となりますが、池は残されるようです。石碑の前で念仏をお唱えし、空襲および広島・長崎の原爆で亡くなられた方々に回向いたしました。四日市では、6月18日から8月8日まで9回の空襲で800人以上が亡くなったとのことです。
 泊山公園へと上ってゆくと、大正池に睡蓮の花がたくさん咲いていました。


公園内にある忠霊塔へ。地下の霊安殿には、四日市市から出征した戦没者五千柱以上の霊が合祀されています。


念仏をお唱えし、先の大戦の戦没者の菩提を弔いました。厚生労働省のホームページによれば、先の大戦の戦没者は310万人、そのうち、海外で亡くなられた方々は240万人とのことです。
 泊山公園を下って東へ歩を進め、古の東海道へ。北へ進んでゆくと、大きな一本松が現われました。


昔、東海道のこの辺りにあった松並木の、唯一の生き残りだそうです。さらに北上すると日永の一里塚跡があり、西唱寺に参拝。かつては寺宝が多数あったそうですが、昭和20年6月18日の空襲で全焼し、灰燼に帰したとのことです。
 西唱寺から東海道を戻り、南へ。日永の追分には、伊勢神宮遥拝鳥居があります。


追分駅を過ぎると、ようやく車の少ない通りになりました。8時半、小許曽神社に参拝。


延喜式神名帳にある古社です。内部川を渡って釆女に入り、金刀比羅宮から杖衝坂を登ってゆくと、石碑がありました。伊吹山の荒神に敗れた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、杖を衝きつつ登った坂です。


「古事記」によれば、日本武尊は父・景行天皇より西国征伐に続いて東国征伐を命じられ、伊勢神宮のおばを訪ねて「天皇は私に死んでほしいのか」と嘆いていたところ、おばより草薙の剣を渡され、無事に東征を終えて尾張のミヤズヒメと一夜を過ごしたのでした。日本武尊は草薙の剣をミヤズヒメの許に置いたまま、伊吹山の神は素手で倒そう、と手ブラで伊吹山へと向かいます。白いイノシシの姿で現われた伊吹の神を使いっぱしりと思って見過ごした尊は、雹の嵐に打ち惑わされて遭難し、当芸野(養老町)、尾津(多度町)を経て此処に至ったのでした。
 隣には松尾芭蕉の「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」の句碑。芭蕉は馬に乗ってこの坂を登り、落馬したそうです。坂を登って血塚社に参拝。


日本武尊は足から血を流しつつ、杖を衝いてこの坂を登りきったのでした。命じられて出征し、負傷して故郷を目指し歩き続ける日本武尊の姿には、先の大戦で異国で亡くなられた240万人の戦没者の姿が重なります…。念仏をお唱えしました。
 血塚社から先へ進むと国道に合流し、ガス会社の一画に釆女の一里塚跡がありました。国道拡張工事の際、此処に移されたそうです。国道を進んで鈴鹿市に入り、国道を離れて単直庵に参拝。


坂を下って国道をくぐり、10時に石薬師の北町地蔵堂にお参りしました。


東海道石薬師宿は、江戸から四十四番目の宿場でした。石薬師出身の歌人・佐々木信綱の短歌が町のあちこちに掲示してあり、歌と町並を見つつ散策。大木神社に参拝し、忠魂碑に掌を合わせました。


佐々木信綱の生家前には、「目とづればここに家ありき奥の間の机のもとに常よりし父」の歌碑。


「山黙し水かたらひて我に教え我をみちびくこの山と水と」等の歌を見ながら歩き、国道を渡ると石薬師寺に着きました。


白山を開いた泰澄大師が神亀3年(726)に光を放つ巨石を祀って創建。その後、弘仁3年(812)に弘法大師が石に薬師如来の像を彫ったとのことです。般若心経と薬師如来ご真言、泰澄大師・弘法大師ご宝号をお唱えしました。
 石薬師寺から石薬師の一里塚に下り、JRの線路をくぐって田んぼの脇の小道を進んでゆきました。


国道をくぐって東海道を離れ、踏み切りを渡って北西へ。田んぼから椎山川沿いの小道を加佐登神社へと行道。


日射しはじっとりと暑いですが、風はさわやかです。障害者の施設に出、加佐登神社入口に到着。杖衝坂を越えた日本武尊は、故郷・大和を目指してさらに進みましたが、ついにこの辺り・能煩野(のぼの)の地で力尽きたのでした。参道を登って加佐登神社に参拝。


日本武尊が身につけていた笠と杖を祀った社で、昔は御笠殿(みかさどの)社と呼ばれていたようです。
  大和は国のまほろばたたなづく青垣山こもれる大和しうるはし
日本武尊の辞世の歌は、戦地で故郷を偲びつつ亡くなった240万人の方々にも重なります。


 加佐登神社から一旦下り、白鳥御陵(白鳥塚古墳)へ。古来、日本武尊の墓と伝えられてきた処です。正午に法要を修し、日本武尊と、先の大戦の戦没者の菩提を弔いました。


白鳥陵の西には加佐登調整池があります。白鳥となった日本武尊の魂は、さらに西へと飛んでいったのでした。


池に沿って西へ進み、荒神山観音寺に参拝。


ご本尊は十一面観音菩薩。弘仁3年(812)、弘法大師が日本武尊の霊を仏像にして祀ったそうです。日本武尊の霊に海外で戦死した240万の霊を想い、般若心経と念仏をお唱えして、先の大戦で亡くなられた方々に回向いたしました。
 帰路はフラワーパークから加佐登神社に戻り、橋を渡って辻ヶ坂を登ると、県道沿いに「宝装塚」がありました。この地で亡くなった日本武尊の装束を納めた塚だそうです。


すぐ近くには日本武尊の冠を納めた宝冠塚もあり、巡拝しました。14時に石薬師の一里塚に戻り、東海道を四日市へ。


国道「釆女南」交差点で東海道を離れ、県道を北上。八幡神社、貝家橋を経て、北西に鈴鹿の山並を見つつ南部丘陵公園へと歩いてゆきました。


途中、障害者施設のパン屋さんがあり、お腹も減ったので食べようと思いましたが、営業時間は10時から15時。15分過ぎていました。先週、相模原の障害者施設で痛ましい事件がありましたが、非道な事件が続々と起きる現世の中であればこそ、慈悲・慈愛の心を強くたもってゆかねばならないと思います。石薬師で見た佐々木信綱の歌:
  願はくはわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはばや
  なげくなかれ悲しむなかれ日輪は人間の上を照らしたまへり
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝