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中州宿(中須宿)~カウハセ宿放浪

 私の夏の楽しみ、それは、白山麓の秘境・尾上郷の藪と沢を放浪徘徊することです。今年は一ヶ月前から計画していたものの、天候不順で延び延びとなっていました。一昨年も8月は天候不順で、9月に御母衣湖畔から尾上郷を歩いて丸山まで登りましたが、クマさんに二度お会いしました。今年は、石徹白から尾上郷に入ることにしました。
 8月21日早朝、白山美濃馬場中宮長瀧寺に参拝して石徹白へ。中居神社にお参りし、保川沿いの林道へと車を進めました。


先月、中州宿から天狗山まで登った際は、保川沿いのこの悪路を四つ目の橋まで車で上ったのですが、歩いてもさほど変わらぬ速度なので、今回は一つ目の橋から歩くことにしました。
 6時半に出発、保川に沿って登ってゆきました。45分程で四つ目の橋を通過すると、西に野伏ヶ岳と小白山が望め、北には芦倉山の姿。



先月同様、笹の露でズボンも袖もビショビショです。尾根を越え、8時に中州宿跡参拝。かつて、長瀧寺から三ノ宿~西山~毘沙門岳~大日ヶ岳~天狗山~芦倉山~丸山~銚子ヶ峰と連なる白山連峰の尾根上にあった白山修験の行場「白山鳩居十宿」の一つで、本地仏は普賢菩薩です。読経・念仏し、トリカブト咲く沢を東へ下ってゆきました。


10分程で南から流れてくる小シウド谷に合流。先月は此処から上流側へ歩き、天狗山に登りましたが、今日は、魚の泳ぐ清らかな沢をジャブジャブと下ってゆきました。
 8時半すぎ、北西から流れてくる谷と合流し、下流には橋が現われました。


下ってきた沢沿いの林道(廃道)の橋で、先月はこの廃道の上流側を登ったのでした。橋を渡って藪道を下ってゆけば、やがて現役の林道に至ります。今日は橋には寄らず、北西から流れくる谷を遡上。


水の豊かな谷で、深い処では腰まで水に浸かり、魚やカエルの泳ぐ清流を遡ってゆきました。


滝が現われましたが、こんな処まで登ってくる人(釣人?)がいるのでしょう、ロープがついていました。


トリカブトの花を見つつ沢を北上。


朝から薄曇りの天気でしたが、日が差してきました。
 10時、また滝が現われました。


此処まで登ってくる人はいないとみえ、ロープはありません。ロープなしで登るのは危険なので、此処からは急斜面の藪に取り付いて北へと登ってゆきました。20分程登ると岩場が現われ、南西に芦倉山から北に連なる尾根が見渡せました。



岩の上には杉が生え、南東に天狗山を遥拝。


此処からは尾根が北へ続いていますが、背丈を越える笹、倒木、枝をいっぱいに広げた灌木を掻き分けつつ行道。右手の樹間に1652mピークが見えてきました。


 11時すぎ、稜線上に出ました。北西に丸山を遥拝。別山は雲に隠れていました。


此処は、芦倉山と丸山の間にあるヤセ尾根(1670mくらい)の東側で、ヤセ尾根から東にV字形に二つの尾根が派生しています。北東の尾根は1625mピークへ、南東のこの尾根は1652mピークに連なっています。1670mヤセ尾根との鞍部へと藪を下り、11時半すぎに到着。此処から南へ流れる谷は小シウド谷、北側を流れる谷は大シウド谷。石徹白に伝わる「白山絵図」に、「かうはせの宿」は「あしくら」と「かめがたけ」(丸山)の間の尾根から「三十丁斗ひだかた也」とあり、白山鳩居十宿の一つ「カウハセ宿(カウハシ宿)」は、この辺りのどこかにあったはずです。藪中を徘徊すると、南側はすぐに谷が下っていました。北側には、西から谷が下っています。どちらも水はありません。北側の谷を西へ登ってゆくと、正午に鳩居行者の尾根上に出ました。1670mヤセ尾根です。北に丸山、西に薙刀山と日岸山を遥拝。



芦倉山から丸山までのこの尾根上も、厳しい藪です。鳩居行者の行場は尾根筋であると同時に谷筋でもあり、鳩居行者は尾根ばかりでなく、沢も歩いたのかもしれません。東へ藪を下り、鞍部に戻りました。
 カウハセ宿の本地仏は、文殊菩薩。文殊菩薩とのご縁は、25年程前、駒沢大学の坐禅堂からです。坐禅堂には、聖僧さまとして文殊菩薩が祀られていました。以来、住所も職も転々とし、何もかもが移ろってゆきましたが、坐禅だけは続けています。学生時代、外国にかぶれてスペインに滞在した時も、「DOJO ZEN」(禅道場)を見つけて坐したものでした。アパートの一室のその道場では、聖僧として澤木興道老師の像が祀られていました。25年前に坐禅堂に坐した時から、文殊菩薩はずっと見守ってくださっていたのでしょう。白山の方に向かって観音経を読誦し、樹の下にしばし坐しました。


 明るく静かな山奥で修行していた、白山鳩居行者。今や、その伝統は絶え、藪に埋もれてしまいました。白山修験の全盛期は鎌倉時代から室町時代で、江戸時代に入ると、長瀧寺が諸国に組織していた白山講による午王札配札の独占的権益は、遠州浜松の二諦坊に敗訴して浸蝕され、東海道方面の檀那場を失い経済基盤を失った長瀧寺一山の組織は崩壊してしまったようです(山本義孝「白山長滝神鳩入峰と宿遺跡」(山岳信仰と考古学II))。長瀧寺一山は衆徒(僧)・山伏・執行(社家)に分かれており、山伏には長吏・夏衆・下山伏・山籠・末山伏・鳩居行者があったそうですが、宝暦6年(1756)には僧10人、山伏はたったの二人となっています。「長瀧寺真鑑正編」には、白山十宿(鳩居十宿)の一つ・国坂修行場(宿)で天正10年(1582)に山伏が美濃紙に秘法を写したことが記されており、この頃までは、此処カウハセ宿など十宿で修行する鳩居行者が存在していたはずです。
 13時に坐を立ち、往路に下ってきた尾根の藪を登りました。丸山の右奥、別山は相変わらず雲をまとっているものの、南白山が姿を現わしていました。


白山権現と泰澄大師に掌を合わせました。往路は滝の前から尾根を北上しましたが、滝より下流に着水できればどこでもよいので、登ってきた尾根の藪を越えてから、正面に芦倉山を望みつつ谷を下ってゆきました。


13時半すぎに往路の谷に着水、水浴びをしてジャブジャブジャブと沢下り。


一時間強で橋の手前に出、南西から流れくる谷を遡ってゆきました。


15時半に中州宿着、遺構の背後に西日を拝みました。


般若心経を読誦し、正身端坐。普賢菩薩の行願・文殊菩薩の智慧・観音菩薩の慈悲、それらは、お釈迦さまの行願・智慧・慈悲に他なりません。仏道を正しく行じてまいりたいものです。
 16時、白山妙理大権現に投地礼をし、露の乾いた笹を分け分け一心に下ってゆきました。林道は樹や下草が多く、土やコケが湿って快適です。車には悪路でも、野人や獣にとっては善路です。入道雲に日がかげりましたが、上空は青空。穏やかな天候のまま、駐車地まで下りました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝