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長瀧寺~白山鳩居五宿巡拝

 五ヶ月前、白山美濃馬場・中宮長瀧寺より美濃禅定道を旧桧峠まで登り、峠から鳩居行者の尾根を毘沙門岳~多和ノ宿~西山~三ノ宿~二ノ宿~一ノ宿と巡拝して長瀧寺に戻りました。今回は、前回と逆回りで一ノ宿から国境ノ宿まで、白山鳩居十宿のうちの五宿を巡拝いたしました。
 9月10日朝7時15分、鳩居入峯の起点、長瀧寺・金剛童子堂に参拝。


拝殿、大講堂、薬師堂を経て山に入りました。尾根を登って8時前に一ノ宿の本地・不動明王に参拝。


南へと続く尾根を急登してゆくと、北の樹間に白山のお姿が遥拝できました。


9時前に美濃・越前境の尾根に出、東に鷲ヶ岳を遥拝。国境尾根の藪は、獣や野人が歩くには差し障りありません。北の樹間に毘沙門岳と白山を拝みました。


 尾根上には大木の古株が処々にあり、特に大きな株の下で二ノ宿本地・釈迦如来に参拝、如来寿量品偈を読誦しました。


この古株は、鳩居行者の二番目の行場・二ノ宿が何処にあったのかをご存知かもしれません。尾根の鞍部の林道を渡り、さらに尾根を縦走。天正3年(1575)、織田信長の越前一向一揆攻めの際、遠藤慶隆らが長瀧寺衆徒の案内で郡上から越前穴馬へ越えたという「二ノ宿と申す処の山道」(「長瀧寺真鑑正編」)とは、此処のことでしょうか?慶隆らは越前で金森長近と合流し、穴馬城や大野城を攻め落としています。
 鳩居行者の「二ノ宿」の本地仏は釈迦如来。白山美濃禅定道の「二ノ峰」(水呑権現)も、本地はお釈迦さまの誕生仏です。さらに、平泉寺から始まる白山越前禅定道・十二宿の二宿目、釈迦之原(中ノ平)も古地図には「水呑」と書かれてあり、釈尊の誕生仏が祀られていたことでしょう。美濃・越前両禅定道の「水呑」には実際に水場もあり、白山鳩居行者の「二ノ宿」の近くにも水場があったのではないでしょうか。因みに、平泉寺は天正元年(1573)、織田信長の朝倉義景攻めの際に義景を見捨てて信長方に寝返りましたが、朝倉家滅亡の翌天正2年(1574)、越前一向一揆との戦いで全山焼失したのでありました。
 尾根を西から北西へ縦走してゆくと、10時半頃、左下から沢のせせらぎが聞こえてきました。沢に降りてお水をいただき、尾根に沿った沢を登ってゆきました。途中から西への尾根の藪に突入、少し登ると三ノ宿頂部の作業道に出、11時に三ノ宿(三角点)登頂。北に西山、毘沙門岳、そして白山を遥拝し、三ノ宿本地・阿弥陀如来の名号をお称えしました。


白山加賀馬場・笥笠中宮の西因上人は、白山の本地仏を阿弥陀如来・聖観音菩薩・十一面観音菩薩の阿弥陀三尊と説いておられますが(「続古事談」)、美濃側(南側)から遥拝する白山は、向かって左に別山(聖観音菩薩)、右に御前峰(十一面観音菩薩)、そして中央奥に大汝峰(阿弥陀如来)が頭を覗かせており、まさに阿弥陀三尊です。


 三ノ宿三角点から北西、西山方面への尾根にうすい踏み跡があり、下ってゆくと30分程で作業道に出ます。国境尾根の越前側のこの辺りは、傾斜がなだらかで水も豊か。三ノ宿の麓のこの辺りに、鳩居行者の行場「三ノ宿」はあったのかもしれません。


西山への尾根に続く作業道を登ってゆき、西山・毘沙門岳の背後に大日ヶ岳から白山へと続く山並を遥拝。


南西には能郷白山や屏風山。


作業道から西山頂へ、笹藪の中へと突入しました。
 無秩序にはびこる頑強な笹藪を、雄叫びをあげながら前進。13時前に西山に登頂しました。


展望は、この時期はありません。山頂から藪中を北へ降下、足の踏み場もなく、下りもキツい藪地獄です。40分程で鞍部の新しい作業道に出ました。五ヶ月前に草木を刈っている人に出会った辺りです。少し下って多和ノ宿の本地・毘沙門天に参拝。


宿の北側を流れる毘沙門谷は水が涸れていましたが、宿の南側を流れる西山谷には、水がチョロチョロと流れていました。


わずかな水の、有難さ。かつて、真夏に石徹白から白山へ初めて登った時に感じたことは、水の有難さでした。「水を飲みたくても飲めない人たちが、世界中にどれほどいることだろう。原爆が落ちたとき、水を求めて歩いた被爆者たちの苦しみ…」(当時のメモ)。
 毘沙門岳の笹藪も、西山に劣りはしません。尾根ではなく、多和ノ宿から毘沙門谷を登ってゆきました。谷の水は涸れており、しばらく登って振り返ると西山が拝めました。


山頂部が近づくと谷は藪となり、密生する固い笹をかき分け、足を踏み込み身体を入れ、もう片方の足を進め…一歩一歩、山頂を目指しました。15時に毘沙門岳登頂。南に西山と三ノ宿、その背後に平家岳・美濃平家岳・滝波山の三山、さらに遠方に高賀山を遥拝。


ここから先は登山道があり、下ってゆくと、北に大日ヶ岳~天狗山~芦倉山、そして白山へと連なる鳩居行者の尾根が見渡せました。


白山頂部は雲に覆われてきました。
 旧桧峠のお地蔵さま、桧峠の泰澄大師像と巡拝。泰澄大師は今日も、ゴルフ場の看板の後ろに佇んでおられました。


大日ヶ岳登山道に入り、16時半、国境ノ宿の本地・十一面観音菩薩に参拝しました。


観音経を読誦し、白山権現の御前で、白山鳩居五宿を毎月登拝することを発願しました。

弟子順昭、白山鳩居五宿を毎月登拝せんことを発願す。
願わくは、名利の眷属に纏われて破敗の菩薩となることなからんことを。
願わくは、白山権現に順って一心に三昧を行じ、三障を三徳に転ぜんことを。
願わくは、み仏の光明・弥陀の白毫を反映し、心の一隅を照らし、世界の一隅を照らさんことを。

社前の平な石の上で白山権現に投地礼をし、下山しました。
 下りは、旧桧峠に戻って白山美濃禅定道を降下。床並社に参拝して空を見上げると、半月が掛かっていました。



18時前に二十刈で車道に出、千人塚、前谷白山神社と巡拝して西に毘沙門岳を遥拝。


長良川沿いの国道を、午前中に歩いた尾根を前方に望みつつ下ってゆきました。


18時45分に長瀧寺に戻り、拝殿、大講堂、金剛童子堂に参拝。すでに真っ暗です。十二時間近くかかりましたが、今後は余計なモノを捨て、只、一心に行じてまいります。

南無白山妙理大権現
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝