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干田野より毘沙門岳登拝

 先週の台風16号が去った翌日、私のねぐらの前を流れる長良川は、けっこう増水していました。


歩いて数分の処にある、多聞天(毘沙門天)のお堂に参拝。


室町時代中期に郡上から流れてきたという毘沙門天が祀られています。この辺りは、川に橋が架かるまであった渡し場に隣接しており、遺跡発掘調査によれば、鎌倉~室町時代には物流・旅客輸送の拠点であったようです。そして、此処に流れてきた毘沙門天像が元々祀られていた処は、70km上流・毘沙門岳東麓の干田野の山中であった、と伝えられているのです。25日、毘沙門さまの故郷を尋ねて干田野から毘沙門岳に登拝してきました。
 朝5時半、白山美濃馬場・中宮長瀧寺にお参りして北へと歩を進めました。干田野へと登ってゆき、如意輪観音さまの石像に参拝。


さらに登って6時半前に神明神社にお参りしました。


干田野は昔、大きな池であったそうですが、山が崩れて池の水が前谷の方へ抜け落ちた、と伝えられています(「北濃の史跡と伝承」)。神明神社からさらに西へ登ってゆき、山中を徘徊して西へと続く尾根の藪を登ってゆきました。
 尾根上は樹や灌木の藪、始めのうちは獣道程度の隙間はあり、台風後も続いた雨で湿った土を踏みつつ登ってゆきました。が、次第に太い枝をいっぱいに広げた樹や灌木となりました。行く手には毘沙門岳が見上げられ、右手には大日ヶ岳が望めました。



谷間からシカの声が響いてきました。
 8時半頃、毘沙門岳へと続く尾根は切り立った岩壁上のヤセ尾根に。



岩壁上には、一部色づき始めた灌木が見られました。


毘沙門岳の南側は厳しい笹藪ですが、東側は尾根がヤセている為か、笹が少ないのがせめてもの救い…と思っておりました。が、山頂部に近づくにつれ、やはり出ました…物干し竿のような笹藪です。


さらにツルと灌木も混じり、三拍子そろった藪三昧。樹に登ると、南に三ノ宿、その後ろに高賀山と滝波山が拝めました。


 10時に藪から毘沙門岳山頂に出ました。


毘沙門岳東側の山崩れで70km下流へと流された毘沙門天さまとのご縁を思い、般若心経と毘沙門天ご真言をお唱えしました。西山の背後、平家岳の右に伊吹山の丸っこい頭が拝め、さらに右に荒島岳と能郷白山を遥拝しました。


足元を見ると、クワガタがいました。


桧峠への登山道を下り、白山方面を遥拝。


大日ヶ岳から芦倉山までは現われていましたが、白山三所権現は雲の中でした。
 登山道を下って11時すぎに白山美濃禅定道に合流。


床並社、茶屋峠、千人塚と巡拝して再び干田野へ。12時半に神明神社に戻り、神社からまたもや西へと登って山腹を徘徊。藪の中に石積みや石垣などがありました。



干田野の集落は昔はこの辺りにあったようですが、毘沙門岳の山崩れが時々あって危険なので、神社より下に移ったそうです(「北濃の史跡と伝承」)。山崩れで神社より下にあった大池が消滅した為、移転できるようになったのかもしれません。
 山腹から南側へ進み、谷を下ってゆきました。


さほど水量はありませんが、谷には流木がありました。毘沙門さまも、大雨による山崩れでこの谷をを下って蓮原川に出、長良川を下っていったのでしょうか。谷から蓮原川沿いの林道に出、干田野の如意輪観音さまから山道を下って長滝に戻り、車で干田野から約70km下流のねぐらへと、下ってゆきました。
 先日、国坂ノ宿本地・十一面観音さまの御前で鳩居五宿毎月登拝を発願致しましたが、多和ノ宿の本地仏でもある毘沙門天さまにも、改めて誓願致しました。山道を颯爽と駈け巡るよりも、藪や沢や雪の中を這いずり巡りつつ、白山権現と一対一の対話をしてまいりたいものです(カメラもケータイも余計な装備も一切捨てて)。

南無白山妙理大権現
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝