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熊本・阿蘇巡拝

 10月18日朝、熊本城を訪れました。加藤清正公の像の前で、昔、子供たちと写真を撮った記憶があります。


震災から半年たった今でも、本丸は立入禁止です。二ノ丸への通路がまだ開いていなかったので、本丸の東を回り込むことにしました。須戸口門の先の稲荷神社は社殿が立入禁止、熊本大神宮は、背後の東十八間櫓が崩落し、境内にすら入れません。



あちこちで石垣が崩れており、テレビで見て想像していたのをはるかに上回る惨状に、息をのみ、掌を合わせました。
 棒庵坂を登り、加藤神社に参拝。


屋根や石垣が崩れ落ちた天守閣に合掌し、熊本の復興をお祈りしました。


熊本城から北側に下った処に愛染院というお寺があり、参拝しましたが、被災して片付けもままならぬ様子でした。近辺の寺や古い家屋も、屋根や壁が崩れ、墓石が倒れたままになっている処が見られました
 坪井川沿いの流長院を目指して歩きましたが、それらしき入口も見当たらず。流長院は、私が学生時代以来、敬慕してやまない江戸時代前期の禅僧、桃水和尚が修行された寺で、今回是非とも訪れてみたかったのでした。桃水和尚は筑後柳川の出身、肥前武雄の円応寺・囲巌和尚の下で幼くして出家し、長じて隠元禅師などの名僧知識を訪ねて江戸、長崎、京都宇治など諸国行脚の後、囲巌和尚が熊本・流長院に移ったので九州に戻り、師に仕えること十余年。嗣法後、南阿蘇の清水寺、大阪の法巌寺に住持し、さらに肥前島原藩主・高力氏に招かれて島原の禅林寺(後の本光寺)に住持しました。しかし、禅林寺で冬安居の後に突如姿をくらまし、以降、二度と寺に戻ることなく、京や伊勢で乞食と同態となって病人の介抱をしたり、大津で馬用のわらじを作って売ったり、名古屋、奈良等、処を替え名を替え、名利を捨てて菩薩行を実践された方でありました。
 近くにいた方に流長院の場所を尋ねましたが、知らないようで、地図で探してくれました。場所は、目の前のようです。細い道を進むと、「流長禅院入口」と書かれた石碑が倒れていました。


周囲の墓石や灯籠も倒れているものが多く、本堂は一応ありましたが、愕然としました。此処で、桃水和尚は囲巌和尚に仕えて修行し、印可を受けたのでした…。震災から半年、先ずは被災者の生活再建を、との心の現われなのかもしれませんが、震災からの復旧・復興には、まだまだ時間を要すること、息の長い支援が必要であることを実感しました。
 熊本城に戻り、交通センターからバスで阿蘇へ。現在、JRは肥後大津~阿蘇間が不通です。バスは南阿蘇村の立野駅を迂回してミルクロードを上り、二重峠方面へ。外輪山を越えると、広大な阿蘇カルデラへと下ってゆきました。桃水和尚の師・囲巌和尚は、京から流長院への帰路、九重山麓で昼食をとって翌日二重峠を越えたところ、狼が後を追ってきて、和尚の落とした懐紙と楊枝を渡してくれた、と伝えられています。和尚は狼に三帰戒を授けたとのこと。今や、日本に狼はおらず、熊も九州では絶滅してしまったようですが、かつては阿蘇にも狼や熊がいたのでした。囲巌和尚のように、彼らと共存してゆきたいものです。
 お昼に阿蘇駅着。阿蘇山を拝みつつ南へ進むと、道の両側に坊院の跡が並んでいました。


阿蘇山修験の本拠地・西巌殿寺(さいがんでんじ)の三十六坊五十二庵の跡です。西巌殿寺は神亀3年(726)の創建、インドから来たという最栄読師が阿蘇山で修行し、火口の中に地獄の有り様を見ましたが、現われた九頭竜のお告げに従って再び火口を覗くと、其処には地獄で苦しむ亡者たちをかばい、争う亡者たちを仲裁する十一面観音菩薩のお姿があったのでした(西巌殿寺ホームページ)。大江匡房の「本朝神仙伝」には、泰澄大師が阿蘇神社に詣で、火口の池で九頭龍王を見出だし、さらに念じていると千手観音菩薩が示現した、とありますが、阿蘇山の本地仏として実際に拝まれてきたのは、白山と同じく十一面観音菩薩であるようです。
 境内に入ると、大きな常夜灯や灯籠が倒れていました。


明治の神仏分離後に山上から移された本堂は、平成13年に焼けてしまったそうです。本堂跡より往生岳と杵島岳を遥拝しつつ観音経と念仏を唱えし、半年前の地震で亡くなられた方々のご冥福と、震災からの復旧・復興をお祈りしました。


現在の本坊も、屋根など被災しているようです。本坊の裏に、肥後出身の豪潮律師が建てた宝篋印塔がありました。


豪潮律師は江戸時代後期に八万四千の宝篋印塔建立を発願、白山美濃馬場・中宮長瀧寺にも、律師の宝篋印塔が建っています。
 阿蘇駅前に戻り、右手に阿蘇山を拝みつつ阿蘇神社へと歩を進めました。


高岳と往生岳・杵島岳の間に、十日前に噴火した中岳火口の噴煙が昇っていました。幹線道路では目立ちませんが、車のさほど通らぬ道を歩くと、道端にまだ火山灰が積もっているのが分かります。歩道にも積もっており、車が通ると、灰が舞い上がります。


建物の屋根や窓、自販機、畑等、十日前の噴火で灰を被ったままの処もあり、水で洗い流している方々をあちこちで見ました。阿蘇駅前から一時間程歩き、極楽寺に参拝。阿蘇神社守護の七ヵ寺の一つで、ご本尊は十一面観音菩薩。此処も被災し、本堂はブルーシートで覆われていました。


 次いで阿蘇神社に参拝。楼門と拝殿が倒壊し、神殿も破損しています。参拝し、阿蘇山本地・十一面観音菩薩のご真言をお唱えして復旧・復興を祈願しました。


阿蘇神社の北側には、かつて神宮寺であった青龍寺の十一面観音菩薩が祀られている処があるそうですが、ご開帳は年一回とのこと。近くに十一面観音さまを祀った別のお堂があったので参拝し、観音経と念仏をお唱えしました。


阿蘇では、今でも本地仏として十一面観音さまが厚く信仰されていることを実感しました。十一面観音さまの慈悲心を実践するのは、私たち人間です。桃水和尚の如く、慈悲行を実践してまいりたいものです。
 阿蘇駅への帰路、建物や敷地の火山灰を洗浄している処が何ヵ所かありました。灰色に濁った水が、側溝に流れ込んでいました。


火山灰は、流しても簡単に除去はできないので、やっかいです。川も、灰色でした。


 熊本県では、被災者の生活再建、被災地の復旧・復興にはまだ期間を要することから、義援金の募集を平成29年3月31日まで延長しています。
https://www.pref.kumamoto.jp/kiji_15416.html

被災した市町村でも、引き続き義援金・寄附金・支援金を募集しています。各市町村のホームページをご覧ください。

阿蘇神社社殿復旧奉賛の案内はこちら。
https://asojinja.or.jp/

極楽寺復興義援金の案内はこちら。
https://gokurakuzenji.org/

熊本市の書店で見つけた、阿蘇復興支援写真集「ゼロの阿蘇」の案内はこちら。
https://kasesuru.jp/zeronoaso/
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝