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初詣

 正月2日朝、郡上白鳥の正法寺で坐禅した後、白山中宮長瀧寺に初詣。数年前まで、この時期は路面は凍結、堂宇は雪化粧、参道の分厚い雪の上を歩いて参拝したものでしたが、昨年に続き今年も、全く雪がありません。


地元の方も、正月6日の花奪い祭り(白山神社で延年の最中、拝殿の天井に吊された花笠を奪い合う)では、雪がないと拝殿から落ちた人がケガをする・・・と心配していました。地球温暖化は、確実に進行しています。
 長瀧寺に参拝した後、急峻な御坊主ガ洞を登って敬愚比丘火定の地に参拝。


「長瀧寺真鑑正編」によれば、戦国時代、大永・享禄の頃(1521~1531)、長瀧寺の敬愚比丘が此処で焼身供養を行ったとのことです。法華経薬王菩薩本事品に、薬王菩薩は過去世に一切衆生喜見菩薩として日月浄明徳仏のもとで修行していましたが、日月浄明徳仏の説かれた法華経に順って修行をし(精進経行して一心に求仏し)、現一切色身三昧を得ました。一切衆生喜見菩薩はみ仏と法華経を身をもって供養せんと、香油を飲み、身に塗り、衣服に注いで、焼身供養を行じました。その炎は千二百年燃え続け、やがて菩薩の身は尽きた、とあります。敬愚上人は「学識ヲ供ヘ書ヲ能クス」る高徳の学僧であったそうです(明治32年(1899)の火災まで、敬愚上人が書いた制札が残っていたそうです)。おそらく、法華経のこの教えに順って焼身供養を行じたのでしょう。当時30代くらいであった長瀧寺阿名院・道雅法印も、衝撃を受けたはずです。身を捨てて仏法を供養した敬愚上人。その遺徳のおかげで、長瀧寺は白山三馬場(越前・加賀・美濃)の中で唯一、堂宇と法灯を今に残しているといえます。敬愚上人火定の炎は、白山美濃馬場を五百年近く、静かに照らし続けているのです。西面して法華経薬王菩薩本事品と念仏をお唱えし、敬愚上人の遺徳を偲びました(薬王菩薩本事品には、この経典に順って修行する女人は阿弥陀仏の浄土に往生し、清浄な眼で無数のみ仏を見るであろう、と説かれています)。
 火定跡の大岩壁の上に出、鉄塔巡視路を北へ。西に三ノ宿・西山・毘沙門岳を遥拝。


北西から北には、桧峠・大日ヶ岳。


長瀧寺から尾根伝いの、鳩居行者の修行場です。各宿(行場)の本地仏ご真言をお唱えしました。鉄塔から巡視路を下って千畳敷(なめら川)の河床に出、川沿いに下って対岸を登ると、巨大な岩壁が現われました。



仏岩です。岩壁のわずかな凹みにしばし坐しました。まるで、壁にとまった蝿のよう。岩から尾根を鉄塔へと登り、鳩居行者の尾根の峰々を遥拝しました。



鹿が吠えつつ、逃げてゆきました。
 山腹の鉄塔巡視路を南下してゆくと、千畳敷の上の鉄塔に戻りました。大日ヶ岳・鎌ヶ峰の手前に先程登った仏岩を拝みましたが、岩の上部の真っ白な窪みが目立ちます。


先程はあまり気にとめていませんでしたが、この窪みこそ仏さまの御坐所、仏岩の名の由来でありましょう。来た道を戻って再び仏岩へ。


白い窪みは凡夫の到れるような処ではなく、まさにみ仏の御坐所。私のような煩悩深き者は、斯様な処に到るのは死んでからにした方がよさそうです。正午、南に面した天然の白龕に掌を合わせ、白山妙理大権現を拝みました。


敬愚上人も、時折此処に坐し、私たちを見守ってくださっていることでしょう。
 仏岩から下り、千城ヶ滝の不動明王に参拝。


千畳敷から鉄塔に戻り、仏岩に敬愚上人と薬王菩薩を拝みました。火定跡にて念仏と題目と薬王菩薩ご真言をお唱えし、御坊主ガ洞を降下。


敬愚上人と白山権現(み仏)に、今年も白山鳩居宿巡拝を命がけで行じることを誓いました。

山川の末(さき)に流るる橡殻(とちがら)も身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ(空也上人)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝