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長良川散策

 22日夕方、長良川畔のねぐらがら対岸の中洲へと散策。対岸へ渡るには、1.5キロ程上流の橋まで迂回せねばなりません。河原へ降り、白山連峰から流れ来る水を拝みつつ上流へ経行(歩く瞑想)。


支流に架かる橋を渡るべく堤防に上がろうとすると、河川敷の叢に猫ぐらいの大きさのネズミがいました。


ヌートリアです。近寄ると、河原を駆け去ってゆきました。


彼のねぐらは私の近所でしょうか。
 支流を渡り、長良川上流へ。空気が冷たく、時折小雨が降っていました。この辺りの長良川は分流しており、間に広大な中洲があります。太古から、長良川は氾濫の度に流路を変え、中洲が生滅していたようです。祠にお参りして橋を渡り、中洲へ。


河原を下流へと下ってゆき、南側に泰澄大師が蔵王権現を祀った山、北側には泰澄大師が牛頭天王を祀った山を遥拝。



一時間程歩き、ようやくねぐらの対岸辺りに出ました。
 澄んだ川面に映る、空と山。


水面を、鴨が翔てゆきました。


室町時代に長良川上流・毘沙門岳からこの辺りに流れてきたという毘沙門天さまに、掌を合わせました。「毘沙門の身を以て得度すべき者には、即ち毘沙門の身を現じて為に法を説く」(法華経観世音菩薩普門品)。白山権現の本地仏である観音さまは、相手に応じて様々な姿で示現し、私たちを導いてくださるお方です。「或いは毘沙門天王の身を現じて是の経を説く」(法華経妙音菩薩品)。妙音菩薩もまた、種々の身を現じて私たちを導くお方です。斯様な能力は「現一切色身三昧」によるもので、薬王菩薩の前世である一切衆生喜見菩薩もまた、この三昧を得た後に焼身供養を行じています。妙音菩薩も「滅度を以て得度すべき者には滅度を示現す」るお方であり、聖徳太子が「此の三大士は、皆能く苦行し、身を現わす」と「法華義疏」で説いておられるように、観音菩薩・妙音菩薩・薬王菩薩は同じ徳を体現された菩薩といえましょう。
 「現一切色身三昧」の他にも、この三大士に共通することがあります。それは、「解一切衆生語言陀羅尼」(「解一切衆生語言三昧」)、即ち、生きとし生けるものの言葉を理解できることです。私たち一人一人の苦しみや願い、声なき声に耳を傾け、理解し、相応しい姿・方法で導く、それが、この三大士はじめ菩薩の理想の姿であり、み仏の解脱(空・無相・無作)の自在な徳であります。
 流れゆく川の響き、鳥の声。絶えず流れつつも、鏡の如き水面。白山の・み仏の妙理妙法は、山上ばかりでなく、川下にも示現しているのでした。仏菩薩に導かれるのみでなく、私たちも、力弱くとも生きとし生けるものの声に耳を傾け、理解し、相応しい方法で柔軟に対処できるようでありたいものです。
 中洲の南端から反対側の分流に沿って北へ進むと、馬頭観音さまが祀られていました。


般若心経を読誦。中洲の中程にある八幡神社に参拝して往路に渡った橋に戻り、来た道を帰りました。長良川の流れに、夕暮れの残照が映えていました。


「自らを洲とし自らを拠り処として、他人を拠り処としてはならない。法を洲とし法を拠り処として、他を拠り処としてはならない。」(釈尊)
妙理・妙法との、一対一の対話。妙法の中に於いて精進経行し、一心に仏道を求めてまいりたく思います。

南無白山妙理大権現
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝