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白山妙理大権現2

 2月4日、毎月二回行じている長瀧寺からの鳩居五宿巡拝の際、西山から拝んだ白山は、別山(本地聖観音菩薩)と御前峰(本地十一面観音菩薩)の中央に大汝峰(本地阿弥陀如来)が頭を覗かせており、その左右に三ノ峰と南白山。均整のとれた白山三所権現のお姿はまさに阿弥陀三尊、山越に照らす阿弥陀さまの白毫に、掌を合わせました。
 無雪期の西山は、足の踏み場もない太く煤だらけの笹藪に覆われ、展望は全くありません。藪を埋める厚い雪上を、長靴とかんじきで登って拝む白山。行中はカメラも食料もリュックも持たず、食わず座らず念仏三昧です。以前、残雪期に西山に登った時の写真があったはず、当ブログを探してみましたが、ありませんでした。東日本大震災後に公開を始めた当ブログより以前の手記を探すと、それは2010年4月8日のことでした。当時の写真です。


桧峠からアイゼンを履いて毘沙門岳を越え、西山に登っています。手記には、「道はないが、ヤブもない。皆、雪の下だ。道は山に聞くことだ。」「白山は、右に大日ヶ岳、左に願教寺山や野伏ヶ岳を従え、視野に収まらぬほどに両腕を広げて、私を迎えていた。」「視野に収まらぬほどに両翼を広げ、聳える真っ白な白山を前にしては、釈迦や弥陀や大日といった特定の如来の名は、不相応である。白山はそれらをすべて、包含していた。」とあります。
 十年前に比叡山行院での加行を終え、伊吹山の寺にいた私でしたが、思う処があって山を下り、七年前の当時は、すでに福祉の仕事をしつつ、奥美濃・奥越の藪山から白山を拝み、また、三禅定道から白山に登拝していました。精神的な不安定さ・苦しみから逃れる為、一心に山行を繰り返し、山に鍛えられていた時期でもありました(時には厳しく)。2010年1月にアキレス腱炎、同年6月には荒島岳旧下山コース登拝後、疲れて運転中に交通事故。9月には白山神駈道荒行に参加しました。
 「白山三所権現」とは、「泰澄和尚伝記」によれば養老元年(717)、白山に越前側から登った泰澄大師が「緑碧池」に十一面観音菩薩、み仏から見て左手の別山に聖観音菩薩、右手の大汝峰に阿弥陀如来を感得して開いた、御前峰・別山・大汝峰の神仏習合の三尊です。越前・加賀・美濃を問わず、白山三所権現の配置はどの寺社でも、中尊の十一面観音菩薩(白山妙理大権現)の左脇(向かって右)に聖観音菩薩(別山大権現)、右脇(向かって左)に阿弥陀如来(越南知大権現)が祀られています。越前側および美濃西部から拝む白山は、まさにこの並びです。


(銀杏峯より拝む白山三所権現と荒島岳、2010.4.18)


(花房山より拝む白山三所権現、左右に荒島岳と屏風山、2010.4.28)
 しかし、白山は何処から拝んでも、両翼をいっぱいに広げた美しいお姿であります。南側から拝む白山は、別山と御前峰の中央に大汝峰の、阿弥陀三尊。加賀・笥笠神宮寺の西因上人は、「三所権現は阿弥陀・聖観音・十一面の垂迹也」と説き(「続古事談」)、丈六・金色の阿弥陀如来像を祀って昼夜不断に念仏三昧を行じました。「是れ則ち妙理権現の初めて弥陀身を現わす所以なり。」(藤原敦光「白山上人縁記」)
北の加賀側からは大汝峰が最も目立ち、阿弥陀仏を本地とする大汝峰を中尊に拝むのは、頷けます。そして、南の美濃側から拝む白山はまさに阿弥陀三尊、西因上人の発願が素直に受け容れられます。そもそも、聖観音菩薩も十一面観音菩薩も宝冠中に阿弥陀如来の化仏を戴いており、三所権現の帰する処は一つです。
 「法華経」観世音菩薩普門品(「観音経」)のサンスクリット原典には、偈の最後の方に、法蔵菩薩が阿弥陀如来となられて極楽世界におられることが説かれ、観世音菩薩が阿弥陀如来の脇侍として左右に立っていた、と説かれています(植木雅俊訳「梵漢和対照現代語訳 法華経」)。阿弥陀三尊は、「観無量寿経」にあるように阿弥陀さまの左手(向かって右)に観音菩薩、右手(向かって左)に勢至菩薩が侍していますが、法華経サンスクリット本のこの箇所を読んで、南側から拝む白山三所権現を想起せずにはいられませんでした。浄土の教えも法華の教えも、帰する処は一つです。
 「法華経」薬王菩薩本事品に、「若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩に囲繞せる住處に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。」とあります。さらに、浄土で菩薩の神通・無生法忍を得、清浄な眼で無数の諸仏を見たてまつり、諸仏に讃歎されるであろう、と説かれています。これは、「無量寿経」にある法蔵菩薩(阿弥陀如来)の四十八願、特に第十九願の、十方の衆生が菩提心を発し、諸の功徳を修め、至心に発願してわが国に生まれんと欲するならば、臨終の際に大衆に囲繞せられてその人の前に現われん、との願に当てはまります。
 「観無量寿経」には、「無量寿仏(阿弥陀仏)を見たてまつるは即ち十方無量の諸仏を見たてまつる」とあります。一仏を念じるとは一切のみ仏を念じることであり、一菩薩を拝むとは一切の菩薩を拝むこと、一法に順うとは一切の教えに順うことであります。昼間の青空と満天の星空が、けっして別のものではないように。白山に観音さまや阿弥陀さまを拝むこと、それは、一切の諸仏菩薩を拝むことであり、妙理妙法を拝むことであります。
 「無量寿経」の中で、お釈迦さまが弥勒菩薩に、この世、即ち悪や苦しみの尽きないこの娑婆世界で、広く徳本を植えて六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を行じ、生きとし生けるものを教え導くよう説いておられます。そして、この世で戒律を一日一夜守ることは、極楽世界で善を百年為すことよりも勝れ、この世で十日間善を修めることは、諸仏の浄土で善を千年為すことよりも勝れている、と説いておられます。なぜなら、浄土では皆、自ずからに善を為し、悪事が存在しないからであります。この世で徳本を植える、それは、「無量寿経」の法蔵菩薩(阿弥陀如来)の第二十二願、あえて仏と成らず、生きとし生けるものを救う為にあらゆる世界に自在に身を現わす、「普賢の徳」に通じます。普賢の行とは、「華厳経」の善財童子の行であり、また、「法華経」普賢菩薩勧発品に説かれているように、法華の行に他なりません。
 西山は、石徹白に伝わる白山絵図には「きょうがたけ」と書かれています。此処から拝む白山三所権現・阿弥陀三尊のお姿に、諸経の教え即ちみ仏の妙理を拝み、一心に念仏行道・五宿巡拝を続けてまいります。かつて、長瀧寺の大講堂には明治32年(1899)の火災まで、大日如来・釈迦如来・阿弥陀如来の三尊が祀られていました。大日如来坐像は蓮台を含め6.3m、両脇の二仏の坐像も巨大なものでした。大日如来(毘盧舎那仏)は華厳、釈尊は法華、阿弥陀さまは浄土の教えの教主。この三尊は法身・応身・報身の、み仏の三身でもあります。この三身、および三尊の教えは、一にして三、三にして一です。苦しみの尽きせぬこの世、煩悩だらけのこの心、悪業の絶えぬこの体。白山に諸仏諸尊を拝みつつ精進経行・一心求仏し、この世でわずかでも善い行いが増やせたら、と思います。


(長瀧寺大講堂、2010.4.8)

「弥陀の白毫一たび照らさば、煩悩の黒業悉く除かれん。」(「白山上人縁記」)

「衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す。是の故に応に至心に、六情根を懺悔すべし。」(「観普賢経」)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝