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白山加賀禅定道登拝・前

 5月6日・7日は、当初から白山加賀禅定道を登拝する計画でしたが、6日の天気予報は雨。6日はやめて7日に日帰りで白山越前禅定道~釈迦岳を登拝するか、それとも6日夕から白山加賀禅定道を登拝するか、当日朝まで迷っていました。しかし、釈迦新道が崩落の為通行止と知り、前線は夕方には通過との予報に、加賀禅定道こそ今回の白山権現のお導き、と決断したのでありました。
 6日14時半、雨の中、笥笠中宮(けがさちゅうぐう)に参拝。


本地は如意輪観音菩薩。般若心経と、平安時代後期に笥笠神宮寺で念仏三昧を行じた西因上人(白山上人)の願文をお唱えし、念仏。
「若し白山の名を聞く善悪諸衆生、生死に流転せば、我即ち成仏せじ。」(藤原敦光「白山上人縁記」)
続いて、加宝宮にて虚空蔵菩薩に今回の登拝成就を祈願し、冬期通行止の県道ゲート前に駐車。


雨中、カッパを着て15時半前にハライ谷へと歩き始めました。


ハライ谷登山口で登山届をポストへ。白山の火口から半径4キロ圏内に入山する場合、登山届の提出が義務化されています(岐阜県側は昨年(2016年)12月より、石川県側は今年(2017年)7月より)。
 日差しがない為おじぎしているカタクリの花の間を、南へと念仏行道。微雨と汗に蒸せつつ登ってゆくと、やがて山道は残雪に覆われ、ひんやりとした気持ちよさ。一時間程登ると雨はやみ、西の空が晴れてきました。残雪と霧の中に咲く、白いタムシバ。


「銀碗に雪を盛り、明月に鷺を蔵す」(「宝鏡三昧」)
北に、笈ヶ岳の姿が現われてきました。


17時15分、檜新宮参拝。


本地は地蔵菩薩。笈ヶ岳の後ろに聳える大笠山の雪が、日を受けて輝いていました。


17時半にしかり場通過、これから登ってゆく加賀禅定道の尾根を遥拝。


黒滝を見つつ、わずかに山道の出ている雪上を縦走してゆくと、やがて本日のねぐらである奥長倉避難小屋が見えてきました。


 アイゼン使わず18時半すぎに避難小屋着、西の雲間に夕日。


小屋の壁ぎわの雪は融けていますが、周囲には1~2mの雪の壁。小屋に入り、南面して正身端坐。観音経と念仏をお唱えしました。加賀側から拝む白山は、南方。白山本地・十一面観音菩薩と南海普陀落山の観音さまを同時に拝むことができます。また、笥笠神宮寺の西因上人が白山三所権現の本地仏を「阿弥陀・聖観音・十一面」の阿弥陀三尊と拝んだように(「続古事談」)、白山は西方極楽浄土とも結ばれているお山です。「西因上人」という号は、上人が西海・肥前松浦の出身であることと同時に、白山権現を阿弥陀如来として拝み念仏三昧を行じたことに因むのでしょうか。やがて日は沈み、彼方に加賀の夜景。


手前に見える灯りは、笥笠中宮が鎮座する中宮の集落です。23時すぎ、窓の外がけっこう明るいので空を見上げると、南の空高く、十一夜の月と木星が輝いていました。


白山は南北・東西と繋がっているばかりでなく、天にも地にも通じているのでした。
 千三百年前に泰澄大師が十一面観音菩薩(御前峰)・聖観音菩薩(別山)・阿弥陀如来(大汝峰)を感得して開かれた白山信仰の眼目、それは、白山有縁の人々の現当二世安楽にあるといえましょう。
「此の会結縁の輩、此の地促膝の人、今生には鎮に我が山の加護を蒙り、当来には必ず彼岸の覚位を証せん。」(「白山上人縁記」)
それはまた、鎌倉時代末、元より帰国して加賀禅定道・吉野谷に祇陀寺を開いた肥後出身の禅僧・大智禅師の行願と、別のものではありません。
「今身より仏身に至るまで、其の中間に於て、生生世世出生入死、仏法を離れず。在在処処、広く衆生を度して疲厭を生ぜす。」(「大智禅師発願文」)

南無白山妙理大権現
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝