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鳩居峯初詣~暖冬雪深し

 白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺の古の山伏の行場・鳩居峯十宿のうち、五宿目までを毎月登拝しておりますが、先月(2018年12月19日)はかんじきを持たずに入峯して山上八十センチの新雪をラッセル、三ノ宿までしか順拝できませんでした。今日(1月24日)はかんじきを腰に提げて入峯。山麓は今年も暖冬で雪が少ないです。長靴で裏山を登ってゆき、四十分で一ノ宿本地・不動明王に参拝。


お堂の周囲は積雪五十センチ、屋根上二十センチ。毎年雪に埋もれる湯呑みの周りには全く雪なく、中の氷にお水をつぎ足しお供えしました。
 一ノ宿から尾根を登ってゆくと、積雪は二十センチから五十センチに増し、かんじき装着。


今期の初かんじきです。樹間に白山遥拝。


三ノ峰が拝め、別山から奥は雪雲の中。越前・美濃国境尾根へ登ってゆくと積雪は一メートルほどになりましたが、暖冬のためか底の方が全く固まっておらず、かんじき履いても足が沈みます。入峯から二時間半かかってようやく国境尾根に出ました。樹間にお姿を現わした白山三所権現。


別山の右奥に御前峰、さらに中央奥に大汝峰。尾根上も一メートルの緩めの雪、登り坂では胸まで雪が当たります。かんじき履いてもこの状況では、三ノ宿まで登るのも過酷な道のり。今日は二ノ宿まで順拝し、歩いたことのない尾根を下ってみることにしました。
 二ノ宿への下り、北に真っ白な白山三所権現と大日ヶ岳を遥拝。


白山にかかっていた雲はすっかり消え、三ノ宿から毘沙門岳~大日ヶ岳~芦倉山~丸山~銚子ヶ峰を経て白山へと続く鳩居峯を一望。


南に面して聳え立つ別山(別山大行事)の本地は聖観音菩薩、垂迹は天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)。別山の右奥の山頂・御前峰(白山妙理大権現)の本地は十一面観音菩薩、垂迹は伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冊尊(イザナミノミコト)。御前峰の肩に頭を覗かせる大汝峰(越南知権現)の本地は阿弥陀如来、垂迹は大己貴命(オオナムチノミコト)。



「外現ヲ謂ヘバ一陰一陽之明神タリト雖モ、内證ヲ尋ヌレバ等覚妙覚ノ尊容也。」(白山越前馬場・平泉寺の「白山権現講式」(明応9年(1500))、大原・勝林院所蔵)

別山の祭神・天忍穂耳尊は天照大御神の太子、大汝峰の祭神・大己貴命(大国主神)は須佐之男命の子孫で婿。御前峰の祭神は天照大御神や須佐之男命を生んだ陽神(をかみ)・伊弉諾尊と、伊弉諾尊と共に日本の国土や神々を産んだ後、黄泉の国で大神となった陰神(めかみ)・伊弉冊尊。石徹白に伝わる「白山名所案内」(安永6年(1777))によれば、別山~三ノ峰を下った処にある桃子之岑(銚子ヶ峰)が「陽の峯」、大御前(御前峰)が「陰の峯」とされていました。御前峰の頂から南側に少し下った処には今も「高天原」がありますが、此処にはかつて「日之新宮」があり、天照大御神(雨宝童子)が祀られていました(「白山名所案内」安永6年(1777)、「白山参り」文化4年(1807)、「白山全上記」文政13年(1830)他)。白山の垂迹神は、御前峰から南側は伊弉諾尊~天照大御神~天忍穂耳尊と続く「陽」「顕」の神々の峯、御前峰から北側は伊弉冊尊~須佐之男命~大己貴命と続く「陰」「冥」の神々の峯として拝むことができましょう。
 白山の本地仏については、十一世紀に藤原能信が作ったとされる「白山大鏡」に「別山東道」(美濃禅定道)が「初地之薩タ(土偏に垂)之道」であり、「正殿之南道」(越前禅定道)が「正法明如来之道」、「越南智之西道」(加賀禅定道)が「等覚菩薩道」であると記されています。「初地」とは、菩薩が発心して仏と成るまでの五十二の位のうち、四十一番目の「歓喜地」のことで、「天台四教儀」には

「百界に作仏し八相成道して衆生を利益す」(あらゆる世界に生まれて仏道を行じ、お釈迦さまのような生涯を送って衆生を利益する)

とあります。これは即ち、別山の本地仏・聖観音菩薩のことでありましょう。
 「正法明如来」とは、観音さまの過去世のお姿です。

「南無過去正法明如来。現前観世音菩薩。」(「千手眼大悲心呪行法」)

観音さまとは、妙覚の仏さまが現世の私たちを救うために示現されたお姿。白山妙理大権現、即ち十一面観音さまです。
 「等覚」とは妙覚の直前の位ですが、「等正覚」とも受けとれます。大汝峰の本地仏は、阿弥陀さまです。白山三所権現の本地仏とは、覚りの世界に留まることなく、私たちを救おうとされる仏菩薩のお姿に他なりません。白山に向かって合掌し、観音経と白山三所権現および鳩居峯各宿諸尊ご真言・ご宝号をお唱えしました。
 二ノ宿付近で本地・お釈迦さまを供養。鳩居峯二ノ宿の正確な位置は分かっておらず、私はいつも大日ヶ岳の拝める処で勤行を修しています。大日ヶ岳を源流とする長良川。


三ノ宿方面へ少し歩を進めましたが、かんじき履いてもこんな感じ。


2017年12月の順拝時も二ノ宿の先で下山しましたが、その時は1150mピークから北東の尾根を下りました。今回は1150mピークの手前の1116mピークから北東へ降下。尾根は次第に西側へ曲がり不明瞭に。


二ノ宿から一時間ほどで、南から流れる谷に着水。


谷沿いに下ってゆけば作業道に出るはずですが、かなり上流で谷に降りてしまったよう。滝になっている処もあり、沢をジャブジャブ下るというわけにはいきません。河床の岩も凍っていて危険。


山腹の雪の急斜面をトラバース。


両岸ともに急峻で、樹にブラ下がったりして進んでみたものの、やがて二進も三進もゆかなくなりました。水を含んだ手袋には指先ごとに重い氷のボールができあがり、ほどけた作務衣の紐にも氷のボール。下に雪の渓谷を見下ろしつつ、まさか、こんな処でオダブツかよ・・・と佇みました。
 残された道はただ一つ、下に下るのではなく、上の尾根まで登ることです。雪の急斜面を這い登り、谷に降りてから一時間半、ようやく安全な尾根上に出ると、樹間に毘沙門岳のお姿。


毘沙門天王ご真言をお唱えし、白山妙理大権現が与えてくださった試煉に感謝。この尾根は2017年12月に下った尾根。服にスノーボールをブラ提げながら下ってゆきました。


 やがて作業道に出、五十センチの雪上を二ノ宿辺りを見上げつつ行道。


尾根に出てから一時間、東側の展望が開け、眼下に長瀧寺と長良川、向かいに御坊主ヶ洞、彼方に白尾山や母袋烏帽子岳を遥拝。


約五百年前に御坊主ヶ洞で焼身供養を行じられた敬愚比丘に掌を合わせました。さらに下り、地蔵山の地蔵堂に参拝。


敬愚比丘は長瀧寺六谷六院の一つ・洲河院谷にあった地蔵山房で修行されたようです(「高鷲村史」)。「長瀧寺神社仏閣記録」(寛文8年(1668))によれば、「退転之坊之事」として

地蔵坊澄海 座中

とあり、地蔵坊は座中(山伏)の坊であったことが分かります。かつての長瀧寺は衆徒(僧侶)・座中(山伏)・執行(神主)から成り立っていました。地蔵堂にて勤行を修し、白山妙理大権現を身をもって供養された敬愚比丘の灯を絶やさぬためにも、この行を続けてゆかねばならぬ、と改めて誓いました。
 入峯から八時間半強で長瀧寺に戻り、大講堂前の豪潮律師宝篋印塔に、三世の一切諸仏を拝みました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝