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長瀧寺~美濃禅定古道~別山登拝1

 白山美濃馬場・中宮長瀧寺(ちょうりゅうじ)から白山まで続く、白山美濃禅定道。かつて大勢の人々が歩いていたこの登拝路も、便利な車道や林道が石徹白大杉の「登山口」まで伸びた現在は廃れて藪化していますが、藪中に古の踏み跡は残っています。
 登拝の二日前、桧峠の泰澄大師像に障害者施設で作った湯呑を奉納。


いつもゴルフ場の看板に隠されてしまっている大師さまに、せめて半月に一度でもお水をお供えしたいものです。
 7月3日未明、長瀧寺に参拝。拝殿、大講堂と巡拝し、大講堂前の宝篋印塔に礼拝。


八万四千造立を発願された豪潮律師の最晩年の宝篋印塔で、天保4年(1833)の建立。律師は天保6年(1835)7月3日に示寂され、今日はご命日にあたります。塔前にて宝篋印陀羅尼と念仏を誦し、律師の遺徳を偲び、今回の登拝をもって律師を供養することと致しました。
 前日からの雨は一旦、止んでいましたが、にわかに降ってきました。カッパを着、4時に長瀧寺を出発。長良川の川霧が、おぼろに明らんできました。前谷白山神社を経て車道を離れ、アジサイ咲く古の美濃禅定道へと歩を進めました。雨は止みましたが、蒸します。カッパを脱ぎ床並社跡に参拝。


養老2年(718)、泰澄大師が当地の病難消除の為に建立された社です。本地・金剛童子ご真言をお唱えし、百合の咲く古道を登ってゆきました。


 5時半すぎに旧桧峠着、お地蔵さまに掌を合わせました。かつては、此処が美濃と越前の境でした。前谷から歩いてきた古道は、此処から先は藪に埋もれています。峠から藪中の踏み跡を下り、車道を横切って谷沿いに降下。


左下に車道を見下ろす山腹に、踏み跡が続いていました。一旦車道に下り、カーブする車道を横切りつつ藪中の古道を辿ってゆくと、一之瀬谷を渡った処に一之瀬社跡。


金剛童子に掌を合わせ、さらに古道を降下。車道に出て桂清水で喉を潤し、石徹白の集落へ。


7時前に大師堂に参拝、般若心経と虚空蔵菩薩ご真言、白山権現および泰澄大師ご宝号をお唱えし、千三百年前に白山を開山された泰澄大師の遺徳を讃え、白山有縁の一切衆生の息災延命と白山仏法興隆を祈願しました。入口に立っておられる泰澄大師のお像は、桧峠のお像と姿も大きさもほぼ同じです。


 行き倒れになった白山巡礼者の供養塔に掌を合わせ、中居神社へと行道。7時半に中居神社に着き、茅の輪くぐりをして大宮殿に参拝。樹間に差した神々しい日の光に、白山妙理大権現を拝みました。


大宮殿の右脇から古の禅定道を登り、浄安杉から藪中の踏み跡を美女下平へと登ってゆきました。途中、斧石(よきいし)に参拝。泰澄大師が、此処から先は結界なので斧のような危険なものは不要、と、この岩で斧の刃をつぶして投げ捨てたそうです。


梵網経の四十八軽戒に、
「若(なんじ)仏子、一切の刀杖弓箭鉾斧闘戦の具を畜(たくわ)うることを得ざれ。」
梵網菩薩戒経偈を誦し、笹藪をかき分けて美女下平に出ました。かつて美女下平には磐長姫が祀られていました。
 美女下平から八丁坂を下り、犬石へ。


下から見るとウツボのようにしか見えませんが、上から見ると確かに犬のように見えます。コアジサイ咲く坂を下って急峻な沢を渡渉。


9時前に林道に着地しました。初河谷を渡り吉沢平を歩いて、急峻な念仏坂へ。目の前にコアジサイやギンリョウソウを見つつ藪中を一心によじ登って尾根に出、鍋倉谷に下って鍋倉平を北へと歩いてゆきました。


藪を倉谷へと降下し、10時すぎに倉谷を渡渉。


かつて垢離取り場があった処です。谷の水で、藪と汗に汚れた身心を浄めました。
 倉谷右岸の藪中の細道を辿り、山腹の藪を登って馬蹄形の大崩壊地沿いに進んで谷を遡上。


ジャブジャブと登ってゆくと、頭上に大杉が現われました。


般若心経を誦し、今清水社にて本地・地蔵菩薩ご真言をお唱えしました。長瀧寺を出発して七時間弱、此処からは快適な登山道です。おたけり坂を登り、かむろ杉の彼方に石徹白と毘沙門岳・西山を遠望。


ヒグラシの声を聞きつつ歩を進め、正午すぎに神鳩宿に着きました。


 此処は、長瀧寺からの白山美濃禅定道と、長瀧寺から尾根伝いに続く鳩居峯の合流点。古の白山修験の行場であった鳩居峯には「白山鳩居十宿」という十の行場があり、十宿目の神鳩(かんばた)の本地仏は虚空蔵菩薩でした(「北濃の史跡と傳承」)。「白山由来長瀧社寺記録」には、「鳩居峯八堂之本尊」として大日宿を除く九堂(九宿)が記されてあり、神鳩のご本尊は虚空蔵菩薩。般若心経と虚空蔵菩薩ご真言をお唱えし、母御石を経て銚子ヶ峰へ。13時に銚子ヶ峰登頂、それまで頭に雲を被っていた別山が、お姿を現わしました。


般若心経と別山本地・聖観音菩薩ご真言をお唱えし、ニッコウキスゲ咲く山道を北へ。


左下に、うえ田と笠場湿原。立山に「餓鬼田」というのがありますが、白山の「うえ田」も「飢田」なのでしょうか。


 南西から涼しい風。一ノ峰と二ノ峰の間で大きなハクサンマイマイにご挨拶。


水呑権現にて本地・釈迦如来を拝みました。


白山美濃禅定道・二ノ峰の水呑権現、白山越前禅定道十二宿中の二宿目・釈迦之原(中ノ平)、白山鳩居峯の二ノ宿は、いずれもお釈迦さまが本地仏です。三ノ峰への残雪はすでにアイゼンを使うほどではなく、藪を登って小屋に出ました。15時に三ノ峰登頂、別山平から上は雲に覆われてきました。


日本海側の梅雨前線の影響で、北陸側は天候が不安定のようです。別山平へと縦走してゆき、南に三ノ峰や、丸山・芦倉山・大日ヶ岳・毘沙門岳を経て長瀧寺へと続く鳩居峯を一望しました。


鳩居峯十宿のうち、五宿目の国坂宿までを半月ごとに巡拝いたしておりますが、「長瀧寺真鑑正編」に、天正10年(1582)国坂宿で山伏が写した秘法のことが書かれてあります。
「右国坂ハ白山拾宿ノ中ニテ山伏ノ行場ナレハ当時長瀧寺衰運ノ節トハ申セドモ若干ノ残存セル山伏ノアリテ苦修練行セシトキノ筆ノ跡ナランカト考ラレケル」。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝