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越後放浪/国上山~野積~弥彦山・後

 登ってゆくと、すぐに西側に日本海が見えてき、北の樹間には雨乞山と弥彦山を遥拝。


国上寺から20分ほどで国上山頂に着き、宝篋印塔に掌を合わせました。


国上山から弥彦山方面へ縦走。剣ヶ峰へと登ってゆき、南西に寺泊の海岸を望みました。


北には、これから登ってゆく雨乞山と、弥彦山。


林道を駈け下って猿ヶ馬場峠への山道を登り、正午すぎに峠に出ました。雨乞山に登り、北西へ降下。佐渡島の島かげを拝みました。


 弥彦山に登る前に、一旦、弥彦山裏参道を野積へと駈け下ってゆきました。


山道を下って沢沿いに少し登り、沢を渡ると、西生寺奥之院参道がありました。ズボンは草まみれ。13時前に奥之院参拝、貞治2年(1363)10月2日に此処で入定された弘智法印に、念仏をお称えしました。「北越雪譜」によれば、弘智法印は下総国匝瑳郡の山桑村出身、諸国を行脚の末、当地に掛錫して庵を結んだそうです。


藪の茂った境内には、法印の座禅石などもありました。五合庵の萬元上人も西生寺の弘智法印も、他郷から各地を放浪行脚の末、当地に骨を埋められたのでした。
 西生寺奥之院から舗装道を下ってゆき、佐渡島を遥拝。


彌彦大神(天香山命(アメノカゴヤマノミコト))の妃を祀った妻戸神社に参拝しました。


天香山命は天照皇大神の曾孫で、紀州熊野に住んでいましたが、神武天皇より越後開拓の詔を受けて日本海を舟で渡り、野積浜に上陸されたとのことです。


さらに下ってゆき、野積の白山宮に参拝。


来た道を戻り、西生寺へと向かいました。弘智法印の即身仏は、今も此処に安置されています。


大きな法印の立像に掌を合わせ、展望台より西に海を拝み、東に弥彦山を見上げました。



西の海から上陸されたという彌彦大神の本地が阿弥陀如来であるというのは、実に相応しく感じられるのでした。海の彼方に極楽浄土を拝み、14時、弥彦山へと一心に登ってゆきました。
 登ってゆくと南側に雨乞山・国上山、分水の町など、朝から歩いてきた山里を一望。


能登見平からの海岸線の展望は、見事です。


寺泊の向こうには、良寛さんの故郷・出雲崎。寛政8年(1796)39歳の時、禅の修行と諸国行脚を経て十七年ぶりに帰郷された良寛さんは、里人には何も告げず、出雲崎を素通りして郷本の浜の空庵に宿し、近村を托鉢してすごしていたそうです。
「少年、父を捨てて他国に奔る。辛苦、虎を描いて猫にも成らず。」(良寛)
世間的にも出世間的にも、何の地位も得ることなく、生涯何にもならなかった良寛さんは、彼にしかできない人生を、彼の運命を、生死されたのでした。
 15時前に弥彦山登頂、御神廟にて念仏をお称えし、良寛さんが行脚され、托鉢された地域を見渡しました。


山頂から表参道を降下。


16時前に彌彦神社に参拝し、今日一日のお導きを感謝致しました。



ももなかの 弥彦山(いやひこやま)に いや登り 我が登れば 高根には 八雲たなびき 岩もとには 木立ち神さび 落ちたきつ 水音さやけし この水の 絶ゆる時なく その山の いや遠長く 有り通い いつきまつらむ 弥彦の神(良寛)

 天香山命、泰澄大師、弘智法印、萬元上人・・・様々な地の方々が国上山や弥彦山に魅せられ、当地に錫を留められました。出身地も宗派も超えた不思議な魅力・包容力が、この地にはあるようです。そして、それは当地出身の良寛さんの不思議な魅力・包容力でもありましょう。

墨染めの我が衣手のゆたならばうき世の民に覆わましものを(良寛)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝