FC2ブログ

記事一覧

御嵩放浪~浄蔵法師忌・後

 50分ほどして坐を立ち、白山に向かって投地礼。薄藪の尾根を西へ下ると鉄塔に出、巡視路を下ってゆくと、立派な社殿が現われました。


白山神社です。石段を下ってゆくと、下には青屋根の大きな拝殿。


白山妙理大権現のお導きに感謝し、真名田溜池から南へと下ってゆきました。中山道に出、「鬼の首塚」に参拝。鎌倉時代初頭、西美濃の不破の関から来た悪人が鬼岩に住み着き、人々を悩ませたので、御嵩の地頭・纐纈(こうけつ)盛康の家臣らが願興寺の蟹薬師さまのご加護で討ち取った、とのことです。宝篋印陀羅尼を誦し、鬼の為に地獄の門が塞がれ、菩提の路が開かれんことを祈りました。


 御嵩富士から歩いてきた峰を望みつつ西へと歩を進め、顔戸(ごうど)の八幡宮に参拝。


見事な権現鳥居です。


かつて、当地には恵観寺という寺があり、八幡宮の別当寺でありました。寺伝によれば、聖徳太子が18歳の時に当地に来られ、蟹の長者が太子を供養すると、天から花が降り注ぎ一燈が下ってきたので、山号を燈明山と名づけ、花が降ってきた処を花降塚、花塚と呼ぶそうです。浄蔵法師が延喜2年(902)12歳で得度受戒した際の師・宇多法皇は、延喜年間に美濃国を御幸されたと伝わり、養老から池田町~御望~犬塚~粟野~高富~椎倉~宇多坂などを通り、武芸川町宇多院の阿弥陀寺(日吉神社)、大聖寺(武芸八幡宮)、喪山(美濃市)を経て恵観寺に参詣されたようです(「宇多天皇と武芸川町」)。顔戸八幡神社の南側には、かつて花塚の古跡があったそうで、宇多法皇がしばらく留まられたので宇多村と言い伝えられているとのことです(「御嵩町史」)。圃場整備でかつての面影は失われていますが、花が降ってきたという空は、昔のままでありましょう。


宇多天皇は8~9歳の間、比叡山で修行され、17歳になるまで寺々に往詣して修行していたそうです。仁和3年(887)21歳の時に即位。寛平9年(897)31歳で太子の醍醐天皇(当時13歳)に譲位されて上皇となり、昌泰2年(899)、東寺の益信僧正より受戒し出家されて寛平法皇となりました。歴代初の法皇です。同年、東大寺にて声聞戒を受け、さらに延喜4年(904)、比叡山にて増命阿闍梨より菩薩戒を受けておられます(「扶桑略記」)。
 正午、八幡宮から八王子山へと登り始めました。東の樹間に、頭の白い恵那山。


30分ほどで山頂付近の八王子神社に参拝。


八王子権現は比叡山の日吉山王七社の一つで、本地は千手観音菩薩。下りは尾根ではなく谷へと下ってゆくと、日吉神社に出ました。


一週間前、比叡山西塔・釈迦堂の内陣で拝んだ山王七社の祠を想い、日吉山王権現(本地・釈迦如来、薬師如来)および山王七社の八王子権現(本地・千手観音菩薩)、客人権現(白山権現、本地・十一面観音菩薩)に般若心経をお唱えしました。
 日吉神社から南下すると、鳥居が立っていました。


鳥居の奥に八王子山を遥拝。傍らには、播隆上人の名号碑。江戸時代後期の越中出身の浄土宗僧侶で、笠ヶ岳再興や槍ヶ岳開山で知られる播隆上人は、各地に特徴的な書体の南無阿弥陀仏の名号碑を建立しておられ、御嵩には天保5年(1834)銘のものが多いようです。播隆上人は天保11年(1840)に美濃太田で遷化されました。その前年、下総・行徳の徳願寺にて浄土律宗和上となっていることを、昨年(2016年)7月の立山登拝の際、大山歴史民俗資料館で知ったのでした。遠浅の海が広がり、空気の澄んだ日に見える富士山を除いては、見渡す限り山のない東京湾奥の街・行徳は、私が育った故郷です。


(徳願寺、2016年参拝時)
「行徳」という地名が、戦国時代16世紀に土地を開発して人々を教え導いた山伏・金海法印が「行徳さま」と呼ばれていたことに由来する、ということも、故郷を出てから知ったことでした。お山の神仏のお導きは、山上にばかりあるのではないのでした。
「真観清浄観、広大智慧観、悲観及び慈観、無観最も好観。為に報ず途中未帰の客、観音は補陀山に不在なり。」(良寛「法華讃」)
 15世紀の武将・斎藤妙椿の顔戸城の辺りを通って可児川へ下り、朝から歩いてきた山々を望みつつ、川沿いに上流へと歩を進めました。



大きなヌートリアがいました。あちこちに祀られている水神さまに、掌を合わせました。14時頃、纐纈(こうけつ)神社に参拝。境内には、播隆上人の名号碑。


念仏をお称えして願興寺へと戻り、白山権現と伝教大師・浄蔵法師・播隆上人のお導きに、感謝致しました。
 山に登り、陀羅尼を誦し、念仏を称え、三昧を修したからといって、この世の苦しみや悲しみ、辛さが無くなるワケではありません。しかし、絶望のさ中に白山を拝むとき、いかなる苦しみ・悲しみも、地獄さえも、み仏の教えを離れたものではないことに気づかされるのです。白山妙理大権現とは、私にとって、最後の命綱です。

「縁を法界に繋(か)け、念を法界に一(ひとし)うす、一つの色・一つの香も、中道に非ざることなし。」(「摩訶止観」)
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝