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岡崎放浪・上

 豪潮律師が岡崎の真福寺に起てた宝篋印塔をお参りがてら、11月27日、三河・岡崎を放浪してきました。思いも寄らぬ体験が、いくつかありました。
 朝7時、紅葉の岡崎城へ。


天文11年(1542)12月26日、徳川家康公(幼名竹千代)が生まれた城です。城内には家康公の産湯の井戸や、えな塚もあります。


龍城神社にて東照大権現ご宝号をお唱えしました。城から伊賀川を渡った処に鎮座する、新田白山神社。


境内には観音さまも祀られており、般若心経と白山権現ご真言・ご宝号をお唱えしました。永禄9年(1566)、岡崎城内に家康公が上州・新田から勧請した、と伝わるそうです。永禄9年は、家康公が松平から徳川に改姓し、朝廷から三河守に任ぜられた年です。松平家の祖が、上野(こうずけ)源氏・新田氏の支流・世良田氏であることを、三河国守として内外に示す為でもあったでしょう。家康公が起請文の料紙として白山美濃馬場・長瀧寺の「白山瀧宝印」を、桶狭間合戦直後の永禄3年(1560)から天正10年(1582)頃まで用いていた(千々和到「徳川家康の起請文」)ことも、新田白山神社と関係がありそうです。只、何故に新田氏と白山神が結びついているのでしょうか?新田義貞公の墓所がある越前・丸岡の称念寺が、泰澄大師開山と伝わることに由るのでしょうか。
 新田白山神社から伊賀川に沿って北上すると、魚町にも白山神社がありました。


此処も、観音堂がありました。伊賀川沿いにさらに歩を進め、8時に伊賀八幡宮参拝。


松平氏四代・親忠公が伊賀から勧請したそうです。荘厳な神域です。さらに北へ、井田城趾を経て大樹寺方面へ。大樹寺の手前にも白山神社があり、お参りしました。


 大樹寺の参道は学校の校庭を挟んで伸びており、校庭を迂回して先に鴨田天満宮に参拝。


昌泰4年(901)正月に太宰府に左遷された菅原道真公(当時58歳)の子供たちも、国を遷され、三男・資忠は三河に来て当地・鴨田に居住していたとのことです。天神さま、即ち菅公に掌を合わせました。鴨田天満宮から西へ進み、大樹寺へ。


浄土宗の寺院で、松平家の菩提寺です。永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で今川義元が織田信長の奇襲に討ち死にした際、義元配下で先鋒として大高城にいた松平元康(徳川家康)は、大樹寺に逃れてご先祖さまの墓前で自害しようとしたそうです。そのとき、大樹寺の登誉天室上人が元康に遠離穢土・欣求浄土の教えを説いて、元康の命を救ったのでした。


本堂にて念仏と、東照権現ご宝号をお唱えしました。境内には松平家の墓所や多宝塔があり、巡拝しました。


 大樹寺から北へ行道、井ノ口城跡を経て9時半に徳川四天王の一人・本多忠勝の誕生地に参拝。


蔵前天満宮、荒神社を経て岩津方面へと登ってゆき、松平氏三代・信光公が建てた信光明寺へ。


続いて岩津天満宮へと巡拝しました。


信光明寺にも岩津天満宮にも観音堂があり、お参りしました。
 10時半、ようやく今回の旅の当初の目的地、真福寺に到着。


石段を登ってゆくと、右前方に宝篋印塔が見えてきました。真福寺への石段はまだ上に続いていますが、吸い寄せられるように宝塔の下へ。


塔の形も梵字の書体も、いかにも豪潮律師らしい宝篋印塔です。碑文は薄れてよく見えませんが、「文政十一戊子」(1828)とあり、年代的にも豪潮律師が肥後から尾張に移った文化14年(1817)と名古屋で亡くなる天保6年(1835)の間であり、間違いありません。宝塔を見上げつつ宝篋印陀羅尼を誦し、私を含め法界の衆生が、生死の苦海を超えて涅槃の岸に到らんことを祈り、三世の諸仏に投地礼しました。


 塔の下方には慈母観音像と、阿弥陀さまを祀ったお堂。お参りして真福寺への石段を登ってゆきました。石段を登りきると、其処には、先程の宝篋印塔よりもさらに大きな宝篋印塔が聳え立っていました。


まぎれもなく、豪潮律師の宝篋印塔です。「天保二辛卯年十二月」(1831)とあります。再び宝篋印陀羅尼を誦して投地礼。まさか、同じ境内に二つも宝塔が起っているとは思っておりませんでした。真福寺の本堂にてお薬師さまに参拝し、お寺の方に豪潮律師の宝篋印塔のことを尋ねると、上の塔は豪潮律師のものだが、下の塔のことはよく分からないとのこと・・・。真福寺と並んでいる八所神社に参拝し、元三大師堂にお参りして宝物館を拝観。展示されているもののタイトルも説明文もほとんどなく、只、ガラスケースに陳列されている感じでしたが、いきなり中国天台宗の開祖・天台智者大師の画像に出会い、思わず掌を合わせました。正身端坐された、その清らかなお姿。
「止観明静、前代未聞。」
天台智者大師が594年に説かれた「摩訶止観」は、時代も国も超えた、仏道修行の指南書です。さらに拝観してゆくと、日吉山王曼荼羅図があり、山王七社の神々の中に客人権現(白山権現)を拝みました。11月14日に比叡山西塔・釈迦堂ご内陣で拝んだ、山王七社の祠を想いました。
 そして、驚いたのは次の図でした。雪山が中央と右下・左下に描かれ、その上に三体のみ仏の坐像が描かれています。中央は十一面観音菩薩、向かって右下には蓮華を持った聖観音菩薩、左下には阿弥陀如来。間違いなく、白山三所権現の本地仏曼荼羅です。白山三所権現ご真言をお唱えし、暫し拝ませていただきました。宝物館の方に、展示してあるものの説明文はないのですか、と尋ねると、何と、展示物のタイトルや簡単な説明の書かれた展示用のカードが、束になってビンに入れられているではありませんか。分かる人がいない、とのことでした・・・。せめて、そのカードを決して捨てないように、とお願いしたのでありました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝