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白山鳩居峯中五宿順拝~早春

 2月26日、白山鳩居峯十宿中の五宿順拝。白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺の境内には雪がわずか。


豪潮律師の宝篋印塔にも、全く雪が乗っていません。地元の方も驚くほどの雪の少なさです。2月9日に越前大野の飯降山(いふりやま)に登った際も、地元の方が雪は例年の三分の一と言っていましたが、今年はかつてないほどの暖冬です。昨年(2018年)は2月中旬に大雪が降り、長瀧寺境内も分厚い雪に覆われました。


(長瀧寺、2018.2.14)
 長瀧寺に参拝し、作務衣に長靴、上だけカッパ着て腰にかんじき提げ、入峯。四十分で一ノ宿着。


例年、この時期は雪に埋もれてしまう湯呑みの周囲にも、全く雪なし。本地・不動明王に読経礼拝し、尾根を上へ。樹間に、桧峠の奥に真っ白な白山三所権現を遥拝。


左に別山、右に御前峰、中央右よりに大汝峰。尾根は次第に残雪に覆われてきましたが、時間差でズボッとはまる歩きにくい雪。


かんじきを装着して登ってゆきました。入峯から二時間弱で越前・美濃国境尾根に出、縦走。


此処から銚子ヶ峰手前の神鳩宿まで続く、古の長瀧寺の山伏の行場「鳩居峯」の尾根。蛇行する尾根の雪は、左側はすべて石徹白川を経て九頭竜川へ、右側は大日ヶ岳までは長良川へ、大日ヶ岳から先は尾上郷川を経て庄川へ。「鳩居峯」は、白山連峰を源流とする四つの大河のうち、三川の源流の峯々です。
 二ノ宿への下り、白山三所権現の向かって右脇に大日ヶ岳、左脇に毘沙門岳を遥拝。


諸尊ご真言をお唱えし、二ノ宿辺りで本地・お釈迦さまを供養。三ノ宿へは、無雪期は水の豊かな沢を登りますが、積雪期は沢沿いの尾根を登ります。


千三百mを超える山頂部の雪は例年より少ないとはいえ、かんじきでサクサク歩けます。入峯から三時間半、三ノ宿登頂。毘沙門岳の真後ろに鎮座する、白山三所権現。


向かって左手前には、これから縦走する西山、右奥には大日ヶ岳。別山(本地・聖観音菩薩)と御前峰(本地・十一面観音菩薩)の中央奥に頭を覗かせる大汝峰(本地・阿弥陀如来)。山越来迎の阿弥陀三尊です。鳩居峯の尾根は、左の西山から中央の毘沙門岳、右奥の大日ヶ岳へ。さらに白山の方へ天狗山~芦倉山~丸山~銚子ヶ峰と「Z」字形に続いています。三ノ宿の本地は阿弥陀如来、白山三尊に向かって念仏をお称えしました。
 白山三所権現の垂迹神は、御前峰が伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冊尊(イザナミノミコト)、別山が天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト) 、大汝峰が大己貴命(オホナムチノミコト、大国主神)。「長瀧寺真鑑正編」によれば、養老元年(717)、越の大徳・泰澄和尚が白山に三所権現を祀った後、麓に四社の神殿(「白山大鏡」によれば金剣宮・中宮・佐良宮・磐根宮) を建て三道(「白山大鏡」によれば正面南之道・別山東之道・越南智之西道)を開くため、加賀、越前を経て長良川上流の森林の中の小祠に至りました。すると、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花開耶姫(コノハナノサクヤビメ)の子)が現われたので、彦火火出見尊を祀って白山中宮美濃馬場を開きました。その後、養老6年(722)に再び美濃を訪れた泰澄和尚は中宮を三社の神殿に改造し、
「大御前ニ伊弉冊尊・伊弉諾尊・彦火々出見尊ヲ祀リ、本地十一面観音ヲ納メ、越南知ニ大己貴尊ヲ祀リ、本地阿弥陀如来ヲ納メ、小白山ニ天忍穂耳尊を祀リ、本地聖観音ヲ納メ」
たとあります。御前峰(白山妙理大権現)の伊弉冊尊(陰神、めかみ)と伊弉諾尊(陽神、をかみ)は日本の母と父。大汝峰(越南知権現)の大己貴命は須佐之男命の子孫で婿、出雲を拠点に葦原の中つ国の国作りを進め、天照大御神(須佐之男命の姉)の御子・天忍穂耳尊に国譲りをして幽世(かくりよ)の神となられたお方。別山(小白山別山大行事)の天忍穂耳尊は大己貴命の国譲りを受け、息子の瓊瓊杵尊を日向の高千穂に「天孫降臨」させた神さま。彦火火出見尊(山幸彦)は、天忍穂耳尊の孫で神武天皇の祖父です。幽事を治める大己貴命の本地が来世の救い主・阿弥陀如来となっており、顕露の事を治める天忍穂耳尊の本地が現世の救い主・聖観音菩薩となっているのは、実に相応しく感じられます。そして、ライバルであったこの二神が、黄泉比良坂で離別した日本の父母(伊弉諾尊・伊弉冊尊)を補佐するという白山三所権現の構図には、陰と陽・幽と顕・無意識と意識の対立と融和というテーマが読み取れます。この本地垂迹を感得された泰澄大師が「神融禅師」と称されるのも、うなずけます。
 三ノ宿から北へ下り、尾根を登って西山へと行道。冷涼な西風、西には荒島岳。


無雪期は厳しい笹藪の西山も、冬は雪に覆われ歩きやすいです。


入峯から五時間弱で西山登頂、無雪期は藪で展望のない西山は、積雪期は白山の遥拝所。此処から拝む白山三所権現は、別山と御前峰のまさに中央奥に大汝峰が鎮座しているのです。


南から拝む白山は、中央奥に越南知権現(本地阿弥陀如来、垂迹大己貴命)が頭を覗かせており、来世・幽世(かくりよ)の神仏として違和感なく拝むことができます。西山から多和ノ宿へと降下。後方には毘沙門岳の背後に大日ヶ岳、さらに白山方面へと続く鳩居峯の尾根。


無雪期は、毎月順拝していても雨や曇で展望のない時は間違えやすい、藪地獄。冬は雪の急斜面をサクサク降下。多和ノ宿に着くと、例年冬は頭まで雪に埋もれる案内板(高さ二m近く)が、足まで姿を現わしています。


毎年二m以上は積もる雪が今年は一m未満。本地・毘沙門天王に参拝し、毘沙門岳へと登ってゆきました。
 毘沙門岳へは、無雪期は水のない毘沙門谷から笹藪を漕いで登りますが、積雪期は尾根を行道。処々、地肌が見えています。


振り返れば、西山・三ノ宿・二ノ宿、さらに長瀧寺へと下る尾根。


山頂部はさすがに雪がしっかりしています。入峯から六時間強で毘沙門岳登頂。北東にうっすらと乗鞍岳。


北へ下ってゆくと、両翼をいっぱいに広げた美しい白山と、雪景色の石徹白の集落。


雪上を下って一時間半で旧桧峠着。


長瀧寺の古の山伏の行場・鳩居峯と、長瀧寺からの白山美濃禅定道が此処で交差しています。桧峠の泰澄大師像に参拝。


例年腰や首まで雪に埋まる泰澄大師、昨年(2018年)2月中旬の豪雪時は、頭まで完全に埋まっていました。が・・・今年は足元まで顕露。般若心経をお唱えして泰澄大師を供養、大日ヶ岳登山道の雪を歩いて入峯から八時間で国境ノ宿(国坂宿)に着きました。


昨年2月中旬の大雪後、2月20日に順拝した際は、お堂は完全に埋没、足で雪を掘り、一・五m下にようやく屋根が現われました。台座を含めると、お堂の屋根は大人の背丈より高いです。今年は、屋根上にチョコンと残雪がある程度。沢の水も現われており、お水をお供えして本地・十一面観音さまに観音経読誦。汲んだお水を桧峠の泰澄大師にもお供えし、旧桧峠から古の美濃禅定道を下ってゆきました。


禅定道も中の峠を越えると地肌が処々見え、雪が緩いのでかんじき履いて降下。茶屋峠から下は雪はまばら、床並社跡にて般若心経をお唱えしました。


床並社には本地仏として金剛童子が祀られていたようですが(「北濃の史跡と傳承」)、「長瀧寺真鑑正編」によれば、養老2年(718)に泰澄大師が勧請、祭神は伊弉冊尊と伊弉諾尊です。前谷に下って千人塚、前谷白山神社と順拝。桧峠から吹き下ろす風が冷たいです。長良川沿いに歩を進め、入峯から十一時間弱で長瀧寺に戻りました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝