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記事一覧

総持寺・宝篋印塔礼拝

 12月28日夕方、横浜市鶴見の総持寺に参拝。越前の永平寺と並ぶ、曹洞宗の大本山です。昔、総持寺の参禅会で准胝観音さまがおられる坐禅堂に正身端坐していたことがありますが、当時は総持寺に起っている宝篋印塔(ほうきょういんとう)については何も知りませんでした。 大祖堂にて高祖承陽大師(道元禅師)と太祖常済大師(瑩山禅師)にお参りし、大雄宝殿に参拝。総持寺は元亨元年(1321)、能登に瑩山(けいざん)禅師が開山。瑩山禅師...

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鎌倉~白山道~金沢文庫順礼

 12月27日夜明け前、鎌倉五山の一つ・寿福寺に参拝。正治2年(1200)、北条政子が栄西禅師を開山として建てた禅寺です。仏殿の裏山に穿たれた「やぐら」には北条政子や鎌倉三代将軍・源実朝の墓塔があり、念仏をお称えしました。 肥前・平戸の白山信仰の山・安満岳(やすまんだけ)に伝わる「安満嶽縁起」によれば、千光院葉上僧正(栄西禅師)が二度目の入宋をして日本に初めて禅の教えを伝えた際、香合の中に白山妙理大菩薩(権現)を...

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知多・豪潮律師順礼2

 12月7日の午後は、三河の深溝から西尾まで歩いたのでしたが、午前中は知多の常滑から半田へ放浪していました。また、12月12日には、常滑から武豊へと放浪。今年(2017年)8月、乙川(半田)から南知多へ、知多半島を縦断して豪潮律師ゆかりのお寺を順礼しましたが、今回は知多半島を横断しての順礼です。 7日朝、常滑の天沢院に参拝。文明5年(1473)開創の禅寺です。墓地に宝篋印塔があり、塔前にて宝篋印陀羅尼を誦して礼拝。高さ二...

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三河深溝~西尾放浪・吉良上野介

 12月7日16時、駮馬の真珠院を下って向かいの丘へ。丘の上には東条吉良氏の居城・東条城の跡がありました。永禄3年(1560)、桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に討たれると、松平元康(後の徳川家康)は今川氏からの独立を目指しました。翌永禄4年(1561)、元康は東条城を攻め吉良義昭は降伏、東条吉良家は滅びましたが、後に義昭のおい・義定が徳川の旗本に取り立てられ、高家吉良家として存続したのでありました。 東条城から西へ...

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三河深溝~西尾放浪・慈本豪英尼

 12月7日14時頃、深溝断層から三ヶ根山を望みつつ南下。拾石川沿いに西へと歩を進め、逆川の羽梨神社に参拝。知多半島最南端の羽豆神社を勧請した社です。交通量の多い県道に出て西へ進むと西尾市(旧・吉良町)に入り、正面に碧南火力発電所の煙突を遠望しつつ、緩やかな坂を下ってゆきました。右手の山には採石場が続き、道を大型ダンプが行き交います。矢崎川沿いの県道に入り、宮迫の神明神社、元禄15年12月15日未明(1703)の赤...

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三河深溝~西尾放浪・本光寺

 12月7日お昼すぎ、三河・深溝(ふこうず)の本光寺に参拝。徳川氏を支えた十四松平の一つ・深溝松平家の祈願所・菩提所として、初代・忠定公が大永3年(1523)に建立した禅寺です。境内西側には初代・忠定公から五代・忠利公まで、境内東側には寛文9年(1669)に肥前・島原藩主となった六代・忠房公から、昭和9年(1934)に亡くなった十九代・忠諒(ただあき)公までの御廟所があります。深溝松平家が島原城に移った後も、歴代の城主が亡く...

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岡崎放浪・下

 真福寺の宝物館を出、奥の院に参拝。奥の院は白山宮。当寺に白山本地仏曼荼羅があるのも、その為でしょう。参拝し、来た道を戻って、正午に下の宝篋印塔があったお堂へ。真福寺の境内と思っておりましたが、どうやら別のお寺のようです。確かめてみると、西居院と書かれてありました。再びお参りすると、お寺の方が「今日はいい天気だね」と話しかけてこられました。笑顔の素敵な和尚さんで、仏頂面だった私もつられて笑顔になり...

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岡崎放浪・上

 豪潮律師が岡崎の真福寺に起てた宝篋印塔をお参りがてら、11月27日、三河・岡崎を放浪してきました。思いも寄らぬ体験が、いくつかありました。 朝7時、紅葉の岡崎城へ。天文11年(1542)12月26日、徳川家康公(幼名竹千代)が生まれた城です。城内には家康公の産湯の井戸や、えな塚もあります。龍城神社にて東照大権現ご宝号をお唱えしました。城から伊賀川を渡った処に鎮座する、新田白山神社。境内には観音さまも祀られており、...

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御嵩放浪~浄蔵法師忌・後

 50分ほどして坐を立ち、白山に向かって投地礼。薄藪の尾根を西へ下ると鉄塔に出、巡視路を下ってゆくと、立派な社殿が現われました。白山神社です。石段を下ってゆくと、下には青屋根の大きな拝殿。白山妙理大権現のお導きに感謝し、真名田溜池から南へと下ってゆきました。中山道に出、「鬼の首塚」に参拝。鎌倉時代初頭、西美濃の不破の関から来た悪人が鬼岩に住み着き、人々を悩ませたので、御嵩の地頭・纐纈(こうけつ)盛康の...

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御嵩放浪~浄蔵法師忌・前

 11月21日は、浄蔵法師のご命日です。浄蔵法師は康保元年(964)11月21日、京都東山の雲居寺で遷化されました。「大法師浄蔵伝」によれば、11月17日、法師は弟子たちに「悲しい哉、破戒の身を以て久しく信施を受く、罪の報いを念うごとに心神安らかならず。命終の期至り、遁るべき處なし。」と語り、21日酉の刻(17~19時)、正念に念仏しつつ、合掌西面して安らかに坐しながら遷化されたのでした。浄蔵法師を偲び、今年も御嵩の長岡...

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝