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記事一覧

うその祖先とまことの祖先

 よく、こんなことが言われる。自分の直系の祖先の数は、一代前は父母二人、二代前は祖父母四人、三代前は曾祖父母八人、n代前は二のn乗人。だから、十代前には千二十四人、二十代前には百四万八千五百七十六人いたことになる。これらの祖先たちの一人でもいなければ、自分というものは存在しなかった。自分というものはなんと尊いものなのだろう、と。 一見、本当らしく聞こえ、坊さんや神職などもよく説いているこの理屈。だ...

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縄文時代のお墓

 お墓のあり方が変わりつつある、二十一世紀の現代。日本人の祖先である縄文人たちは、土器の使用によって食べ物を煮炊きするようになり、日本で定住生活をした初めての人たちだった。当然、まとまった墓地が現われたのも縄文時代だったろう。彼らはどのような埋葬をしていたのか?野人が訪れたいささかの遺跡から縄文のご先祖さまに学んでみたい。 千葉県船橋市の飛ノ台貝塚(とびのだいかいづか)。(2023/11/21)縄文時代早期、約...

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二十一世紀と縄文時代の温暖化

 令和五年(2023)十一月十一日、午後おそく長良川畔のねぐらから裏山へ登り、北の樹間に拝んだ白山三所権現。御前峰(本地・十一面観音菩薩)と別山(本地・聖観音菩薩)の中央奥に大汝峰(本地・阿弥陀如来)が頭を覗かせる、この山越来迎阿弥陀三尊を拝めるのは、白山の南側からだけだ。温暖化の続く近年には珍しく、今年は十月初旬に初冠雪した白山。だがその後一ヶ月経っても、雪は積もっては融けてを繰り返している。(2023/10/22、...

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長者ケ原

 またしても訪れた、越後の海。山の庵から分水嶺を越え、越中から越後の海岸をドライブすると、いつも心に浮かぶのはU2の「No Line On The Horizon」。「俺の知ってる海のような乙女彼女は毎日変わってゆく俺のため」「俺の知ってる心に穴ある乙女彼女は言った無限大は偉大な出発点ね」(拙訳)山の庵に棲んでいるとはいえ、野人が生まれ育ったのは東京湾岸の海辺の町。トンネルだらけの山道を車で走るのは疲れるが、広大な海を見な...

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三十年前~五千年前そして今

 先週九月二十五日、パリで開催されたファッションショーで披露された、若手のデザイナー、ヴィクトール・ヴァインサント(Victor Weinsanto)の奇抜なウェディングドレス。最後に登場したのはシースルーのタイトなドレスで、下腹部などに花びら模様があしらわれ、乳首は二つの花のよう、裾は足元からめくれて広がっている。そして首から上も漏斗状に大きく広がり、表情を隠している。 Weinsantoのインスタグラム野人はその姿を見て...

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野いちご

 令和五年(2023)も、もう八月だ。下界の暑さを逃れて山の庵に籠る。標高一千メートルの此処は、真夏でも一日中二十℃台だ。庵の下には、草の間にバライチゴの実が宝玉のように煌めいている。赤い実に乗っているヒスイのようなものは、カメムシの幼虫か。 翌朝、バライチゴの実を摘んでパンにはさみ、いただいた。スイーツ的な甘さはないが、ほのかな甘味と酸味の素朴な味わい。この二十一世紀の野人同様、紀元前二十一世紀の縄文...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 5 真備公

(承前) 「石度白伝記」によれば、養老二年(718)に泰澄大師が白山南面の登拝路(後の白山美濃禅定道)を開いた後、天平七年(735)に聖武天皇が石徹白神社(中居神社(ちゅうきょじんじゃ))に神剣を奉納している。勅使は吉備真備(きびのまきび)であったという。吉備真備(下道真備(しもつみちのまきび))は、稚武彦命(わかたけひこのみこと)を祖とする吉備の下道臣(しもつみちのおみ)の後裔。稚武彦命の異母兄・吉備津彦命(きびつひこのみ...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 4 後史

(承前) 古墳時代前期・四世紀中葉の景行天皇十二年、白山南麓、越前・美濃境の石徹白に吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)が伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祀った後、石徹白には吉備氏の一族が入植したようで、二年後には年に四度の祭礼が定められている。(石徹白の中居神社、2023/4/12白山登拝時)その後、仁徳天皇の四年(五世紀前半)には流行した疫病を鎮めるため、出雲の須賀から素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、出雲の杵築から大...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 3 越飛濃

(承前) 越後の刈羽で天照大御神を祀った後、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)の分遣隊は久比岐国に戻り、おそらく海沿いに越中へと軍を進めた。そして伊弥頭(いみず、射水)を経て砺波郡に入った。「古事記」によれば、砺波郡を本拠とする利波臣(となみのおみ)の祖は日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)。(日子刺肩別命を祀る南砺市岩木の荊波神社(うばらじんじゃ)、2023/5/23参拝時)日子刺肩別命は吉備武彦命の大叔父であ...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 2 信越

(承前) 古墳時代前期の四世紀中葉、景行天皇の四十年。天皇は息子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に東国遠征を命じ、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)と大伴武日連(おおとものたけひのむらじ)を副将に、七掬脛(ななつかはぎ)を膳夫(かしわで、食事係)に任命した(「日本書紀」)。大和を出陣した日本武尊は伊勢神宮に参拝し、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授かった。駿河に進軍した日本武尊...

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝