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記事一覧

平泉寺~三室山~比島観音放浪

令和五年(2023)十月十二日 越前の勝山を放浪朝七時半に歩き始めた白山越前馬場 平泉寺(へいせんじ)の石畳の参道延々と続く苔むす石畳 平泉寺の僧らが運んだという九頭竜川からやがて霊応山平泉寺に参拝 明治の神仏分離で中宮平泉寺は白山神社となり明治五年(1872)に 廃寺にされたが明治三十九年(1906)再興された此処に歴史探訪館の前を通って泰澄大師廟へ 掌を合わす白山を開かれた泰澄大師に精進坂を上り左手の顕海寺に参詣...

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豊川稲荷~霞堤~石巻山放浪・前

令和四年五月九日朝七時 三河・豊川の豊川稲荷に参拝此処は神社ではなく曹洞宗の禅寺 豊川閣妙厳寺(みょうごんじ)総門を入ると右手に鎮守堂 祭神は白山妙理大権現曹洞宗の守護神は白山権現 南無白山妙理大権現西へ進むと今川義元が 天文五年(1536)に寄進した山門がある本殿へと歩を進め左手に 拝む宝篋印塔と観音像宝篋印陀羅尼をお唱えしていると 観音さまの下から顔を出す猫本殿にてご本尊豐川吒枳尼眞天(とよかわだきに...

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虎皮の英雄1 織田信長

(岐阜城下の信長公像、2021.12.26)  天正九年(1581)二月二十八日、四十八歳の織田信長は、京都の御所の東に築かせた馬場で盛大な馬揃え、即ち軍事パレードを行い、天覧に供しました。このとき信長が着けていた行縢(むかばき、腰に付けて前に垂らし、腿から下を覆う毛皮)は、金地に虎の斑を刺繍したもので、鞍の上敷、障泥(あおり)、手綱、腹帯、尾袋も同様のデザインでした(太田牛一「信長公記」)。同年一月八日に安土で催した左...

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鳩居峯二ノ宿探訪

令和三年十一月十六日 白山美濃馬場・長瀧寺より尾根伝いにあったという 山伏の行場「鳩居の峯」へ白山美濃禅定道とは別の 藪に覆われたこの尾根を野人は五年前(2016)に発願し 神鳩宿まで九~十あったという行場のうち五宿目までを 千三百m級の峰々縦走し二十五ヶ月間毎月二度 その後一年毎月一度今は二~三ヶ月に一度 喰わず座らず巡拝している行者気取りだった当初は 聖者にでもなる気でいたもんだが藪漕ぎ雪踏み白山拝...

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敬愚比丘忌

 6月1日は、白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺の敬愚比丘が、御坊主ヶ洞の奥に登って焼身供養を行じられたご命日。「長瀧寺真鑑正編」に、「比久ハ陰暦六月朔日御坊主ガ洞奥ナル見附ノ大岩ノ下方ニテ火焼三昧ニ入定セリト云フ現ニ墓石ヲ存ズ多分大永享禄(1521~32)ノコトナラン」とあります。(見附ノ大岩、2018年正月参拝時)御坊主ヶ洞には毎月の白山鳩居峯五宿巡拝時に参詣していますが、ご命日の6月1日にはここ数年、毎年岩下で法華...

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建仁寺~本能寺~白山宮~戻橋放浪

 3月28日午後、知恩院から円山公園を通り、高台寺や霊山観音がある高台へ。満開の桜と、大勢の観光客。南東に八坂の塔(法観寺)を拝みました。平安時代中期の天台僧で修験者でもあった浄蔵法師は、天暦4年(950)夏に八坂寺(法観寺)に住しており、天暦6年(952)3月に貴族らが花見に来た際、塔が北西の方、即ち御所の方へ傾いていると指摘され、亥の刻(21~23時)に露地に坐して宝塔を加持すると、子の刻(23~1時)に北西から微風が吹い...

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横蔵寺~妙法ヶ岳~華厳寺順拝

 2月8日、西美濃・谷汲の横蔵寺から華厳寺までの尾根を縦走してきました。朝8時前、谷汲の道の駅を長靴履いて出発。県道脇の歩道には新雪が積もり、山々はうっすらと雪化粧。恭徳稲荷神社、貴船神社、天神神社と順拝して飛鳥川沿いに歩を進めてゆくと、前方に横蔵寺の霊峰が一望できました。現在、横蔵寺は山麓にありますが、かつてはこの山上に堂宇が建ち並び、一番高いピークには今も白山権現が祀られています。神原神社に参拝...

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加賀・白山中宮三社~高倉山順礼2

 佐羅宮からさらに手取川沿いに北へ。11時、不老橋より渓谷を見下ろしました。吉野神社、願慶寺を経て石風呂川を渡り、11時半、巨大なご仏飯の如き御仏供杉(おぼけすぎ)に参拝。中国・元での十一年の修行を終え、朝鮮半島経由で加賀・宮腰に帰国した大智禅師は、翌正中2年(1325)、当地吉野の山中に祇陀寺を開山されました。御仏供杉は、禅師が元徳2年(1330)に郷里・肥後の菊池氏の請を入れて当地を去る際、杖を逆さに挿したものと...

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尾張放浪~信長・信勝と白山権現2

 本山駅から電車に乗り、11時に桶狭間古戦場に着きました。永禄3年(1560)、駿河・遠江から三河に所領を広げた今川義元が大軍を率いて尾張に侵攻しましたが、此の地で信長の奇襲に遭い、敢えない最期を遂げたのでありました。白山美濃禅定道登拝の中継拠点・石徹白には、今川義元が天文9年(1540)に出した判物の写しが伝わっており、石徹白における駿河・遠江両国の道者の宿坊の事は、今までと相違なきようにせよ、とあります。駿河...

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尾張放浪~信長・信勝と白山権現1

 元亀2年(1571)冬、岐阜を訪れたフランシシスコ・カブラル神父、ルイス・フロイス神父、ロレンソ修道士らと対談した織田信長は、神父たちと信長を引き合わせる役を仰せつかっていた家老の林佐渡守(秀貞)に、「予はぱあでれどもの教えと予の心とは何等相違ないことを白山権現にかけて其方に誓う」と語っています(フロイス「日本史」柳谷武夫訳)。何故、唐突に「白山権現」の名が出てくるのか、以前から不思議に思っていたのですが...

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Haxanjunrei

松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝