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記事一覧

河北・氷見古代巡礼

令和五年(2023)十月二十九日朝 越中・小矢部から峠道を車で走り加賀・津幡の七野墳墓群へ 道の駅から南へと歩を進め倶利伽羅不動寺鳳凰殿に参拝 境内南の高台に登れば弥生時代終末期(三世紀前半)の墳墓群 二号墓は四隅突出型墳丘墓だ四隅突出型墳丘墓は弥生時代中期・紀元前後から 出雲など山陰地方で造られた墳丘墓だ弥生時代後期・二世紀後半には 出雲の西谷に巨大な四隅突出型墳丘墓が造られた(西谷三号墓、2019/2/21)(西...

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平泉寺~三室山~比島観音放浪

令和五年(2023)十月十二日 越前の勝山を放浪朝七時半に歩き始めた白山越前馬場 平泉寺(へいせんじ)の石畳の参道延々と続く苔むす石畳 平泉寺の僧らが運んだという九頭竜川からやがて霊応山平泉寺に参拝 明治の神仏分離で中宮平泉寺は白山神社となり明治五年(1872)に 廃寺にされたが明治三十九年(1906)再興された此処に歴史探訪館の前を通って泰澄大師廟へ 掌を合わす白山を開かれた泰澄大師に精進坂を上り左手の顕海寺に参詣...

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吉備放浪3 楯築遺跡~造山古墳

(承前)十六時に吉備津新宮社を発ち 新幹線の高架下の県道を西へ歩く北東に振り返る吉備中山(きびのなかやま) 足守川を渡って南へ曲がる十七時前到着した バラ園前の上東遺跡(じょうとういせき)に弥生時代後期~古墳時代前期の 集落や波止場の遺跡波止場の遺構は今は道路の下 遺構からは桃の核(種子の外皮)が出土した九千六百個以上も 吉備津彦命が吉備を平定する以前から吉備では桃の実を用いた祭祀が あちらこちらで行われ...

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吉備放浪2 吉備中山

(承前)正午に首部(こうべ)白山神社を発ち 山沿いに西へと歩いていった十二時半国道の歩道橋に上り 西に拝んだ吉備中山(きびのなかやま)山のこちら側は備前国で 山のあちら側は備中国だ十三時前吉備津彦神社に到着 神池に映る吉備中山(巻頭写真)亀島の前の石の上で 仲よく日向ぼっこする亀二匹拝殿に参拝した後 本殿を仰ぐ北東より本殿の北の手前に楽御崎神社(らくおんざきじんじゃ) 奥には尺御崎神社祭神の楽々森彦命(ささ...

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雨飾山~焼山縦走・下

(承前)焼山と火打山を源流とする早川谷に伝わる 「往古早川谷之絵図」によればその昔焼山は茶臼山と呼ばれていたという だが康安元年(1361)の噴火のおり茶臼のような溶岩ドームが崩落し それから焼山と呼ばれるようになった(この日(2023/8/8)焼山から姫川は見えるも早川は雲でよく見えず)また同絵図によれば焼山の隣の火打山は 八口山と呼ばれ山中にいた八口という者を出雲の大穴持命(大国主神)が討った これは「出雲国風土記...

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越中婦負・古墳丘陵放浪 1

令和五年(2023)七月二十二日朝四時半 神通川左岸の鵜坂神社に参拝崇神天皇十年(四世紀初頭)北陸に 遠征した大彦命(おおびこのみこと)により創祀天平十八年(746)に越中国守と なった大伴家持(おおとものやかもち)は天平二十年(748)に越中国内の諸郡を巡行し 射水郡から砺波郡を経て来た婦負(ねい)郡に鸕坂川(うさかがわ)渡る瀬多みこの吾(あ)が馬(ま)の足掻(あがき)の水に衣(きぬ)ぬれにけり(「万葉集」四〇二二)神通川越しに拝...

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越前越知山・加賀舟岡山放浪

令和五年(2023)七月十二日朝 越前武生(たけふ)の茶臼山へ麓の白山神社に参拝し 妙行寺の前通って山道を上へ北峰の頂に金比羅神社があり 石仏が祀られている手前に山上に円墳と方墳があり 古墳時代前期・四世紀後半のものらしい「国造本紀」によれば四世紀後半 成務天皇の時に角鹿国造(つぬがのくにのみやつこ)が置かれている初代国造は吉備武彦命の弟か従弟の建功狭日命(たけいさひのみこと) その頃の郡の長のお墓だろう大和...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 4 後史

(承前) 古墳時代前期・四世紀中葉の景行天皇十二年、白山南麓、越前・美濃境の石徹白に吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)が伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祀った後、石徹白には吉備氏の一族が入植したようで、二年後には年に四度の祭礼が定められている。(石徹白の中居神社、2023/4/12白山登拝時)その後、仁徳天皇の四年(五世紀前半)には流行した疫病を鎮めるため、出雲の須賀から素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、出雲の杵築から大...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 3 越飛濃

(承前) 越後の刈羽で天照大御神を祀った後、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)の分遣隊は久比岐国に戻り、おそらく海沿いに越中へと軍を進めた。そして伊弥頭(いみず、射水)を経て砺波郡に入った。「古事記」によれば、砺波郡を本拠とする利波臣(となみのおみ)の祖は日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)。(日子刺肩別命を祀る南砺市岩木の荊波神社(うばらじんじゃ)、2023/5/23参拝時)日子刺肩別命は吉備武彦命の大叔父であ...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 2 信越

(承前) 古墳時代前期の四世紀中葉、景行天皇の四十年。天皇は息子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に東国遠征を命じ、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)と大伴武日連(おおとものたけひのむらじ)を副将に、七掬脛(ななつかはぎ)を膳夫(かしわで、食事係)に任命した(「日本書紀」)。大和を出陣した日本武尊は伊勢神宮に参拝し、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授かった。駿河に進軍した日本武尊...

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝