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記事一覧

吉備武彦命の越遠征の足跡 3 越飛濃

(承前) 越後の刈羽で天照大御神を祀った後、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)の分遣隊は久比岐国に戻り、おそらく海沿いに越中へと軍を進めた。そして伊弥頭(いみず、射水)を経て砺波郡に入った。「古事記」によれば、砺波郡を本拠とする利波臣(となみのおみ)の祖は日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)。(日子刺肩別命を祀る南砺市岩木の荊波神社(うばらじんじゃ)、2023/5/23参拝時)日子刺肩別命は吉備武彦命の大叔父であ...

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三種の神器・下

(承前) この「三種の神器」について、南北朝時代の南朝の重臣・北畠親房が著した「神皇正統記」(延元4年(1339)成立)に次のようにあります(「第八十二代、第四十四世、後鳥羽院」)。「三種の神器の事は所々に申侍しかども、先内侍所は神鏡也。八咫の鏡と申。正體は皇太神宮にいはひ奉る。内侍所にましますは崇神天皇の御代に鋳かへられたりし御鏡なり。村上の御時、天徳年中に火事にあひ給。それまでは圓規かけましまさず。後朱雀...

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尾張黒田~一宮~妙興寺巡礼

 半月前(2019.1.15)、東近江・市辺で大長谷王(おおはつせのみこ、後の雄略天皇)に殺された従兄弟・市辺忍歯王(いちのべのおしはのみこ)の御陵にお参りしました。その後、市辺忍歯王の二人の王子(後の顕宗天皇と仁賢天皇)にまつわる伝承が尾張にも残されていることを知り、1月29日、木曽川を越えて尾張・黒田へ。この辺りは、東近江の赤神山(太郎坊阿賀神社)の祭神・天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)の親族も多く祀られている...

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知多・豪潮律師順礼2

 12月7日の午後は、三河の深溝から西尾まで歩いたのでしたが、午前中は知多の常滑から半田へ放浪していました。また、12月12日には、常滑から武豊へと放浪。今年(2017年)8月、乙川(半田)から南知多へ、知多半島を縦断して豪潮律師ゆかりのお寺を順礼しましたが、今回は知多半島を横断しての順礼です。 7日朝、常滑の天沢院に参拝。文明5年(1473)開創の禅寺です。墓地に宝篋印塔があり、塔前にて宝篋印陀羅尼を誦して礼拝。高さ二...

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尾張放浪~信長・信勝と白山権現2

 本山駅から電車に乗り、11時に桶狭間古戦場に着きました。永禄3年(1560)、駿河・遠江から三河に所領を広げた今川義元が大軍を率いて尾張に侵攻しましたが、此の地で信長の奇襲に遭い、敢えない最期を遂げたのでありました。白山美濃禅定道登拝の中継拠点・石徹白には、今川義元が天文9年(1540)に出した判物の写しが伝わっており、石徹白における駿河・遠江両国の道者の宿坊の事は、今までと相違なきようにせよ、とあります。駿河...

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尾張放浪~信長・信勝と白山権現1

 元亀2年(1571)冬、岐阜を訪れたフランシシスコ・カブラル神父、ルイス・フロイス神父、ロレンソ修道士らと対談した織田信長は、神父たちと信長を引き合わせる役を仰せつかっていた家老の林佐渡守(秀貞)に、「予はぱあでれどもの教えと予の心とは何等相違ないことを白山権現にかけて其方に誓う」と語っています(フロイス「日本史」柳谷武夫訳)。何故、唐突に「白山権現」の名が出てくるのか、以前から不思議に思っていたのですが...

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津島~立田の蓮田放浪

 8月9日・長崎原爆の日の未明、ふと蓮の花が見たくなり、ねぐらを出ました。車で長良川沿いに下ってゆくと、西の空、金華山(岐阜城)の上に皓々たる満月。彼方には伊吹山のシルエット。長良川と木曽川を渡って尾張に入り、津島の天王川公園に車を停めました。御嶽神社に参拝して東側に足を進め、舟戸町の瑞泉寺へ。瑞泉寺は、かつては津島神社の神主邸内にあったそうです。瑞泉寺の背後に鎮座する、白山神社。白山権現ご真言・ご宝...

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知多・豪潮律師順礼

 享和2年(1802)、宝篋印塔八万四千造立の大願の最初の塔として、肥前・基山の大興善寺に立塔した肥後出身の天台僧・豪潮律師。九州各地に宝篋印塔を造塔安置した律師は、文化14年(1817)69歳の時に尾張藩主・徳川斉朝に招かれ、尾張に移りました。文政2年(1819)、知多郡の岩屋寺に止住され、文政6年(1823)に柳原の長栄寺に移るまで岩屋寺を中興し、顕密二教、ことに念仏の教えを弘められ、宝篋印塔の造立も継続されました。8月2日...

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鳥居松~大山廃寺~尾張白山放浪

 4月9日朝、雨の中、春日井市の朝宮神社に参拝。延喜式神名帳(延喜5年(927))記載の式内社・和爾良神社と伝えられ、建保6年(1218)に白山権現が勧請されて朝宮白山宮と称したそうです。朝宮から南方へ歩を進め、慈眼寺に参拝。黄檗宗の寺院で、門の形が宇治の黄檗山萬福寺総門にそっくりです。(萬福寺総門、2016年10月参拝時)さらに南へ進み、庚申寺へ。此処から北東へ、下街道(したかいどう)が続いています。 下街道とは、名古屋...

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四日市~石薬師~加佐登巡礼

 8月5日朝7時、四日市市の南部丘陵公園に車を停め、泊村の安政池へ。長崎に落とされた原爆と同じ大きさ・重さの模擬爆弾「パンプキン」が昭和20年(1945)7月24日に四日市・大垣・大津・神戸・新居浜に落とされましたが、つい最近、四日市での着弾地が安政池だったことが判明したそうです。池を探しながら団地造成の工事現場から墓地まで歩きましたが、池らしきものは見当たらず。地元の方に聞いてみると、団地の工事をしている処が...

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝