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記事一覧

平泉寺~三室山~比島観音放浪

令和五年(2023)十月十二日 越前の勝山を放浪朝七時半に歩き始めた白山越前馬場 平泉寺(へいせんじ)の石畳の参道延々と続く苔むす石畳 平泉寺の僧らが運んだという九頭竜川からやがて霊応山平泉寺に参拝 明治の神仏分離で中宮平泉寺は白山神社となり明治五年(1872)に 廃寺にされたが明治三十九年(1906)再興された此処に歴史探訪館の前を通って泰澄大師廟へ 掌を合わす白山を開かれた泰澄大師に精進坂を上り左手の顕海寺に参詣...

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吉備放浪4 鬼ノ城~古郡神社

(承前)造山古墳(つくりやまこふん)から北へ足を進めると 庚申山の上の神社から鐘の音この地域には神社に鐘楼が 普通にあって長閑(のどか)に響く音江戸~明治時代の神仏分離までは当たり前だった 光景が何故残っているのか不思議だ足守川を左岸に渡り右岸に戻り 高塚の天神宮に参詣高速道路下の高塚遺跡からは 弥生時代後期の銅鐸が出土した銅鐸も鐘の一種なり 仏教伝来以前から鳴らされてきた九時半に矢喰神社に参拝 吉備中...

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吉備放浪3 楯築遺跡~造山古墳

(承前)十六時に吉備津新宮社を発ち 新幹線の高架下の県道を西へ歩く北東に振り返る吉備中山(きびのなかやま) 足守川を渡って南へ曲がる十七時前到着した バラ園前の上東遺跡(じょうとういせき)に弥生時代後期~古墳時代前期の 集落や波止場の遺跡波止場の遺構は今は道路の下 遺構からは桃の核(種子の外皮)が出土した九千六百個以上も 吉備津彦命が吉備を平定する以前から吉備では桃の実を用いた祭祀が あちらこちらで行われ...

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吉備放浪2 吉備中山

(承前)正午に首部(こうべ)白山神社を発ち 山沿いに西へと歩いていった十二時半国道の歩道橋に上り 西に拝んだ吉備中山(きびのなかやま)山のこちら側は備前国で 山のあちら側は備中国だ十三時前吉備津彦神社に到着 神池に映る吉備中山(巻頭写真)亀島の前の石の上で 仲よく日向ぼっこする亀二匹拝殿に参拝した後 本殿を仰ぐ北東より本殿の北の手前に楽御崎神社(らくおんざきじんじゃ) 奥には尺御崎神社祭神の楽々森彦命(ささ...

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吉備放浪1 操山~津島~首部

令和五年(2023)九月一日 朝五時前に岡山駅前を発ち東へと足を進めれば 朝焼けの旭川の彼方に操山(みさおやま)相生橋より岡山城望み 南東へ歩を進めて東山峠より登っていったホテルやゴルフ場の丘 六時すぎ湊茶臼山古墳に着いた墳長百二十五メートルの古墳 古墳時代前期の前方後円墳室賀寿男氏の「吉備氏」によると 被葬者は日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)かも日子刺肩別命は「古事記」によれば 大吉備津日子命(吉...

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雨飾山~焼山縦走・下

(承前)焼山と火打山を源流とする早川谷に伝わる 「往古早川谷之絵図」によればその昔焼山は茶臼山と呼ばれていたという だが康安元年(1361)の噴火のおり茶臼のような溶岩ドームが崩落し それから焼山と呼ばれるようになった(この日(2023/8/8)焼山から姫川は見えるも早川は雲でよく見えず)また同絵図によれば焼山の隣の火打山は 八口山と呼ばれ山中にいた八口という者を出雲の大穴持命(大国主神)が討った これは「出雲国風土記...

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医王山登拝2~顕

(承前)令和五年(2023)六月二十一日夏至早朝 小矢部川なんぶ大橋の東より医王山(いおうぜん)遥拝一昨日と逆に美濃・飛騨境は曇りで 越中は晴れているすっきり六時前に祖谷登山口を発ち 前医王山へと登っていった二つのピークに胎蔵界大日如来と 金剛界大日如来のご真言をお唱えしたツツドリの声聞きつつ国土原へと 西に登ってゆけば足元にギンリョウソウそして南の樹間には 残雪の白山がお姿現わす!四塚山と七倉山の左に 大...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 5 真備公

(承前) 「石度白伝記」によれば、養老二年(718)に泰澄大師が白山南面の登拝路(後の白山美濃禅定道)を開いた後、天平七年(735)に聖武天皇が石徹白神社(中居神社(ちゅうきょじんじゃ))に神剣を奉納している。勅使は吉備真備(きびのまきび)であったという。吉備真備(下道真備(しもつみちのまきび))は、稚武彦命(わかたけひこのみこと)を祖とする吉備の下道臣(しもつみちのおみ)の後裔。稚武彦命の異母兄・吉備津彦命(きびつひこのみ...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 3 越飛濃

(承前) 越後の刈羽で天照大御神を祀った後、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)の分遣隊は久比岐国に戻り、おそらく海沿いに越中へと軍を進めた。そして伊弥頭(いみず、射水)を経て砺波郡に入った。「古事記」によれば、砺波郡を本拠とする利波臣(となみのおみ)の祖は日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)。(日子刺肩別命を祀る南砺市岩木の荊波神社(うばらじんじゃ)、2023/5/23参拝時)日子刺肩別命は吉備武彦命の大叔父であ...

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吉備武彦命の越遠征の足跡 2 信越

(承前) 古墳時代前期の四世紀中葉、景行天皇の四十年。天皇は息子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に東国遠征を命じ、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)と大伴武日連(おおとものたけひのむらじ)を副将に、七掬脛(ななつかはぎ)を膳夫(かしわで、食事係)に任命した(「日本書紀」)。大和を出陣した日本武尊は伊勢神宮に参拝し、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授かった。駿河に進軍した日本武尊...

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝