河北・氷見古代巡礼
- 2023/11/02
- 20:26

令和五年(2023)十月二十九日朝 越中・小矢部から峠道を車で走り加賀・津幡の七野墳墓群へ 道の駅から南へと歩を進め倶利伽羅不動寺鳳凰殿に参拝 境内南の高台に登れば弥生時代終末期(三世紀前半)の墳墓群 二号墓は四隅突出型墳丘墓だ四隅突出型墳丘墓は弥生時代中期・紀元前後から 出雲など山陰地方で造られた墳丘墓だ弥生時代後期・二世紀後半には 出雲の西谷に巨大な四隅突出型墳丘墓が造られた(西谷三号墓、2019/2/21)(西...
長者ケ原
- 2023/10/26
- 20:22

またしても訪れた、越後の海。山の庵から分水嶺を越え、越中から越後の海岸をドライブすると、いつも心に浮かぶのはU2の「No Line On The Horizon」。「俺の知ってる海のような乙女彼女は毎日変わってゆく俺のため」「俺の知ってる心に穴ある乙女彼女は言った無限大は偉大な出発点ね」(拙訳)山の庵に棲んでいるとはいえ、野人が生まれ育ったのは東京湾岸の海辺の町。トンネルだらけの山道を車で走るのは疲れるが、広大な海を見な...
吉備放浪2 吉備中山
- 2023/09/06
- 21:22

(承前)正午に首部(こうべ)白山神社を発ち 山沿いに西へと歩いていった十二時半国道の歩道橋に上り 西に拝んだ吉備中山(きびのなかやま)山のこちら側は備前国で 山のあちら側は備中国だ十三時前吉備津彦神社に到着 神池に映る吉備中山(巻頭写真)亀島の前の石の上で 仲よく日向ぼっこする亀二匹拝殿に参拝した後 本殿を仰ぐ北東より本殿の北の手前に楽御崎神社(らくおんざきじんじゃ) 奥には尺御崎神社祭神の楽々森彦命(ささ...
土偶~フォッサマグナの女神
- 2023/08/24
- 22:15

あなたはいったい誰なのか? ヒスイの大珠(たいしゅ)が作られていた越後・糸魚川の縄文時代の 遺跡に埋められていたというあなたは?紀元前三十六~三十一世紀頃の 縄文時代中期前半にあなたは縄文人の手で作られ祀られた スリムな身体(からだ)に丸い乳房へその下にはウェアリング・パンツ 身体は見える笑った顔のようにもだけど頭は宇宙へと開き 口?あるが目なく側頭に耳飾りみたいなもの人間離れした不可思議な顔で 超時...
雨飾山~焼山縦走・下
- 2023/08/10
- 23:20

(承前)焼山と火打山を源流とする早川谷に伝わる 「往古早川谷之絵図」によればその昔焼山は茶臼山と呼ばれていたという だが康安元年(1361)の噴火のおり茶臼のような溶岩ドームが崩落し それから焼山と呼ばれるようになった(この日(2023/8/8)焼山から姫川は見えるも早川は雲でよく見えず)また同絵図によれば焼山の隣の火打山は 八口山と呼ばれ山中にいた八口という者を出雲の大穴持命(大国主神)が討った これは「出雲国風土記...
越中婦負・古墳丘陵放浪 2
- 2023/07/26
- 21:21

(承前)六治古塚墳墓(ろくじこづかふんぼ)も弥生時代終末期(三世紀前半)の 四隅突出型墳丘墓である谷を挟んで北東には同時代の 集落跡の千坊山遺跡がある六治古塚墳墓から北へ進み各願寺に 参詣し西へ進むと花水谷各願寺の僧が閼伽水を汲んでいたという さらに進むと睡蓮咲くため池に山道を上り勅使塚古墳(ちょくしづかこふん)へ 古墳時代前期(三世紀末)の前方後方墳踏み跡を南西へ進むと五ツ塚古墳群 一列に五基並んでいる円...
越中婦負・古墳丘陵放浪 1
- 2023/07/25
- 20:10

令和五年(2023)七月二十二日朝四時半 神通川左岸の鵜坂神社に参拝崇神天皇十年(四世紀初頭)北陸に 遠征した大彦命(おおびこのみこと)により創祀天平十八年(746)に越中国守と なった大伴家持(おおとものやかもち)は天平二十年(748)に越中国内の諸郡を巡行し 射水郡から砺波郡を経て来た婦負(ねい)郡に鸕坂川(うさかがわ)渡る瀬多みこの吾(あ)が馬(ま)の足掻(あがき)の水に衣(きぬ)ぬれにけり(「万葉集」四〇二二)神通川越しに拝...
頸城駒ヶ岳~鋸岳縦走 1
- 2023/07/08
- 22:45

令和五年(2023)七月七日早朝 越後・糸魚川の根知谷より駒ヶ岳と雨飾山(あまかざりやま)遥拝山寺の金蔵院・観音堂・山王社に参り 五時半前に着いた展望台うろこ雲の下にこれから歩いてゆく 駒ヶ岳・鬼ヶ面山・鋸岳を北東~東に拝みつつ林道を北へと歩いていった 西~北西には明星山と青海の黒姫山を見上ぐ駒ヶ岳には南西側からも登れるが 山腹を北上し北西から登ることにする東から見下ろしている駒ヶ岳 テーブルマウンテンの...
吉備武彦命の越遠征の足跡 5 真備公
- 2023/06/09
- 20:30

(承前) 「石度白伝記」によれば、養老二年(718)に泰澄大師が白山南面の登拝路(後の白山美濃禅定道)を開いた後、天平七年(735)に聖武天皇が石徹白神社(中居神社(ちゅうきょじんじゃ))に神剣を奉納している。勅使は吉備真備(きびのまきび)であったという。吉備真備(下道真備(しもつみちのまきび))は、稚武彦命(わかたけひこのみこと)を祖とする吉備の下道臣(しもつみちのおみ)の後裔。稚武彦命の異母兄・吉備津彦命(きびつひこのみ...
吉備武彦命の越遠征の足跡 4 後史
- 2023/06/08
- 01:21

(承前) 古墳時代前期・四世紀中葉の景行天皇十二年、白山南麓、越前・美濃境の石徹白に吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)が伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祀った後、石徹白には吉備氏の一族が入植したようで、二年後には年に四度の祭礼が定められている。(石徹白の中居神社、2023/4/12白山登拝時)その後、仁徳天皇の四年(五世紀前半)には流行した疫病を鎮めるため、出雲の須賀から素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、出雲の杵築から大...