吉備武彦命の越遠征の足跡 2 信越
- 2023/06/03
- 23:45

(承前) 古墳時代前期の四世紀中葉、景行天皇の四十年。天皇は息子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に東国遠征を命じ、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)と大伴武日連(おおとものたけひのむらじ)を副将に、七掬脛(ななつかはぎ)を膳夫(かしわで、食事係)に任命した(「日本書紀」)。大和を出陣した日本武尊は伊勢神宮に参拝し、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授かった。駿河に進軍した日本武尊...
ペルシアの煌めき展/雨垂~雨壺散策
- 2022/05/16
- 19:44

令和四年五月十四日 遠州上野部(かみのべ)のシルクロード・ミュージアムへ味わい深きペルシアの陶器を鑑賞 江戸時代の豪農の館にて虹色に煌めくラスター彩や 鳥や人の描かれたイスラム陶器中世イランで作られた 麗しき皿や壺や鉢ペルシアがイスラム化する前の 物もあるゾロアスター教の時代のササン朝期の切子ガラス碗 アルサケス朝(パルティア)期のペンダント紀元前六百~五百年頃のリュトンは アケメネス朝が始まった頃の...
豊川稲荷~霞堤~石巻山放浪・後
- 2022/05/11
- 19:57

(承前)豊川(とよがわ)左岸の賀茂霞堤(鎧堤)より 間川(あいだがわ)の橋に戻った十一時朝から四時間町と川歩きだった これからいよいよ山登り山手に登り白山神社に参詣 南無白山妙理大権現王子眷属南東へと足を進め前方に これから登る石巻山望む正午に石巻神社下の宮参拝 祭神は大己貴命(オホナムチノミコト)即ち大国主神神語をお唱えし登っていった 鉄塔巡視路の静かな山道前をひらひらと舞う小さな蝶 どうやらコジャノメ...
豊川稲荷~霞堤~石巻山放浪・前
- 2022/05/10
- 16:23

令和四年五月九日朝七時 三河・豊川の豊川稲荷に参拝此処は神社ではなく曹洞宗の禅寺 豊川閣妙厳寺(みょうごんじ)総門を入ると右手に鎮守堂 祭神は白山妙理大権現曹洞宗の守護神は白山権現 南無白山妙理大権現西へ進むと今川義元が 天文五年(1536)に寄進した山門がある本殿へと歩を進め左手に 拝む宝篋印塔と観音像宝篋印陀羅尼をお唱えしていると 観音さまの下から顔を出す猫本殿にてご本尊豐川吒枳尼眞天(とよかわだきに...
浜松・富士宮放浪~富士山へ
- 2018/08/23
- 15:55

8月19日午前、浜松・元魚町の松尾神社に参拝。小路を西へ歩いて本称寺に参詣し、念仏をお称えしました。かつて、本称寺の隣には白山神社と別当寺の二諦坊(にたいぼう)があり、元禄13年(1700)と享保8年(1723)の二諦坊の失火により、白山神社や本称寺が類焼してしまったそうです(「浜松情報BOOK」)。「浜松風土記」(会田文彬著)によれば、本称寺裏手の丘陵地を「白山」、その下を「白山下」といい、「白山」に白山神社と京都醍醐寺...
正三忌
- 2018/06/26
- 00:33

6月25日は、江戸時代前期の禅僧にして一宗一派を超えた散聖・鈴木正三(すずきしょうさん)和尚のご命日。和尚を偲び、前日24日朝5時、三河の石平山恩真寺にカッパを着て参拝。正三道人手植えの杉、坐禅石と順拝して本堂にて般若心経読誦。本堂裏の正三和尚墓塔の御前で法要を修し、不動滝の下の岩穴で不動明王を拝みました。「我南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と云は、放下著放下著と申也。」「後能(よく)成んと思て勤るは、皆輪廻の業...
饗庭白山~見影山~三ヶ根山順礼
- 2018/01/31
- 01:18

1月30日、三河の吉良吉田から深溝まで信仰の山々を順拝してきました。 朝7時半、吉良吉田の宝珠院に参拝。宝徳2年(1450)、比叡山の栄俊上人が当地に十一面千手観音菩薩像を祀り、富士山吉田口で修行の後、寛正4年(1463)に当地に戻って大日如来像を安置し、開山されたそうです(宮田登編「七福神信仰事典」)。当地が「吉田」と呼ばれるようになったのも、栄俊上人に由来するようです。境内に入ると、見事な宝篋印塔が現われました...
三河霧山~羅漢山~石平山順拝2
- 2018/01/17
- 20:27

羅漢山の行場からさらに登ってゆくと峠があり、南のピークには椎城跡、北のピークには秋葉神社。秋葉神社から南西に、先ほど登った霧山白山宮の山を遥拝しました。峠に戻って西へ下ると林道に出、北へ歩を進めて山中町の津島神社に参拝。北側へ上る車道から尾根につくと、途中に名号碑や石仏があり、藪化した古道を下って正午すぎに石平山恩真寺の入口に出ました。 鈴木正三和尚は出家後、三河に帰り、寛永元年(1624)、此処・石...
三河霧山~羅漢山~石平山順拝1
- 2018/01/16
- 21:55

1月15日、豊田市の鞍ヶ池公園に車を停め、江戸時代前期の禅僧・鈴木正三(しょうさん)和尚と、江戸時代後期の念仏行者・慈本豪英尼ゆかりの山々を順礼してきました。 鞍ヶ池公園から40分ほど歩いて、霧山町の白山宮に参拝。麓の里宮から裏山へ石段を登ってゆくと本殿があり、さらに山上へと急峻な山道が続いています。三河国幡豆(はず)郡駮馬(まだらめ)出身の慈本豪英尼は、文政10年(1827)21歳の時に出家、浄土宗の尼僧として専...
三河深溝~西尾放浪・吉良上野介
- 2017/12/11
- 12:59

12月7日16時、駮馬の真珠院を下って向かいの丘へ。丘の上には東条吉良氏の居城・東条城の跡がありました。永禄3年(1560)、桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に討たれると、松平元康(後の徳川家康)は今川氏からの独立を目指しました。翌永禄4年(1561)、元康は東条城を攻め吉良義昭は降伏、東条吉良家は滅びましたが、後に義昭のおい・義定が徳川の旗本に取り立てられ、高家吉良家として存続したのでありました。 東条城から西へ...